注:手塚と不二が離婚する話です







離婚式















「聞いてよ手塚!黒いカサブランカって、吃驚するほど高かったんだよ!」
「……ブラン?」
「花だよ、花。ほんとに、君はそういうこと何にも知らないんだから。
 百合だよ」
「……百合か。そういえばお前、この前は薔薇になるって言ってなかったか?」
「うーん。
 でも、僕が思うに、きみには薔薇より百合が似合う。
 薔薇はありきたり。百合のがハイセンスだったよ。
 乾だって褒めてくれてたじゃない」
「そういうものか?」
「そうさ!」

 僕はとても浮かれていた。今日、僕たちの家で盛大なパーティが開かれたからだ。人生で一度、あるかないかの一大行事が祝われたのだ。
 こちらで知り合った友人たちはもちろんのこと、日本の友人も大勢来てくれた。僕たちは何週間も前から、誰を招待するかを話し合い、沢山の友人の名が連ねられたリストを製作した。遠方のものにはエアチケットすら送って、とびっきりの友人には絶対来てもらえるようにと手筈を整えた。料理も奮発して、この街一番と言われているレストランにデリバリーを頼んだし、会場の飾り付けに使う花も、僕は真剣に選んだ。衣装だって僕たちにぴったりな、申し分のないものを二揃い新しくあつらえたのだ。
 僕達は二人とも黒い手袋をして、黒いリボンが結ばれたナイフを手にとって、真っ黒なチョコレートで作られた大きなケーキに一刀を入れた。二人で行なう最後の共同作業だった。
 今日は素晴らしい記念日になるだろう。
 三月七日、僕と手塚は離婚した。
 今日は、僕と手塚の離婚式だったのだ。

 この世のものとは思えないほどに散らかったリビングを手塚とひいひい言いながら片付けると、どうにか床の上に障害物がなくなり、一段落つけることが出来る。
 離婚披露宴の間中、僕はひたすら笑い続け、まだ顔の筋肉が引き連れるように疲れている。それくらい、大騒ぎで面白いパーティだった。大抵仏頂面で生きている手塚も、今日ばかりは何度も表情を崩してよく笑った。年を重ねるにつれて、彼も笑うことが多くなったのだ。まだ、部屋中に皆の喧騒が残っている気がする。

 今思い返すと、瞬くような夢の日々だった。そして、同時に、とても長い年月だったことも確かだ。十四年近い月日を、僕たちは確かに愛し合った。今でも、目を閉じれば出逢ったころの手塚が見える。あの、僕の頭の中にある日本の温かい日差しの中で、彼は若く、瑞々しく、そして高潔な輝きを放っている。瞼の裏には光りが溢れ、君の未成熟な肢体を今でもいとしく思う。ゆっくり集中すると耳にはあの頃のチームメイトの声がさかんに行き交う。しかし、その中でもやはり手塚の怒鳴り声はひときわ大きく聞こえるのだった。そして、その叱咤に、みんな尻を捲り上げてグラウンドを走り出す……。グラウンド一周は何メートルだったっけ。二百か?四百か?あれは本当に地獄だった。
「フフフ」
 僕は思わず笑みを漏らした。
「何を、笑っているんだ」
 先ほどからダイニングで電卓をたたいていた手塚は、僕の密かな含み笑いに、顔を上げて眉を顰めた。
「きみと出会った頃を、また思い出していたんだ。
 英二や、大石や、乾も!ほかにも、みんなみんなだよ……。
 今日は英二と乾しか来られなかったもんね。乾なんかは結婚式のあと二、三回も会ってなかったじゃない。みんな懐かしくて」
 手塚の眉間の皺が増えてゆくことがたまらなく嫌だったので、はぐらかすこともなく言った。彼は僕が少しセンチメンタルになっていることがわかったらしく、表情を少し緩め一息つくとリビングのソファに座った僕に向き直った。
「……十二、だったか?」
「十二だよ!もう、二十年も前だ。君だって十二歳の頃があったんだから!」
 僕は彼が口にした年齢を実感すると、思わず驚きの声を上げてしまった。十二歳の手塚なんて、今の君しか知らない人たちが見たら、卒倒してしまう!そうすると、また手塚は怪訝そうな顔をする。
「なんだそれは」
 十二歳。なんて幼かったんだろう?そうは思うのに、頭の中では何ひとつ変わっていないとも思えるのが不思議だ。中学生の手塚。まだまだ小さくて、生意気で、頬だってつるつるだった。
「ちっちゃい君は、可愛かった」
 確かに僕は一つなぎに続いているはずなのに、もうあの頃の気持ちは思い出せない。だから、せめて、三十代の男が中学生に抱くような羨望と微笑ましさを持って、幼い彼を想う。
「お前は、棒切れみたいな手足をしていた」
 手塚がそっけなくそう言と、中学生の手塚の横に白い体育着を余らせた生白い僕が加わった。ガリガリでぶかぶかで、それでも笑顔の僕が。
「棒切れって……ひどいなあ。
 確かにガリガリだったけどね」
「ガリガリは、今も変わらんか。相変わらず、肋骨が数えられるんだろう?」
「はは。まあね。そうだね。ガリガリなのは今も昔も変わらずだ。でも、来月からはダカールに行くし、ちょっと肉を付け始めたんだよ」
「変わらんように見えるな」
「服の上からじゃね」
「……」
「君はあの頃から、カッコいい体つきをしていてもんねえ。
 僕がアメリカの話を聞いた時は、やっと来たか!って思ったよ」

 中学卒業後、手塚はアメリカに渡り、スポーツを専門に学べる学校に入った。そして、僕が彼を追いかけ同国の大学に入学した頃には、もうプロの世界に身を投じていたのだった。僕達は中学卒業後長い別離に備えて恋人同士ではなくなっていた。もちろん寂しかったが、それよりも、どんどん強くなっていく彼を見ると、毎回胸が振るえる思いがした。それくらい、テニスをする彼は美しい。僕は、時折伝わってくる、彼の話を注意深く拾い集め、何度も反芻し、異国の地にある姿を想像した。彼が見せてくれる広い世界はどこまでも爽快で、僕も彼に釣られるようにして、世界中、どこへでも行けるような気がした。
 僕が彼を追ったのは堪らなかったからだ。遠くで聞いているだけでは、あまりに物足りなかった。僕は彼のことを克明に捉えていたかった。
 そして僕は、一眼レフを携えて手塚の暮らす街のアートカレッジを受験しに行ったのだった。
 そうして、一緒に暮らし始めた僕たちは、再び恋人として関係を築きなおした。
 僕達が、「結婚」しようと思ったのは、僕が大学を卒業して報道の仕事についたときだった。二人とも二十三歳の若さ。何か、将来に繋がる決意を欲していた。
 僕と手塚は結婚しているということになっているが、別に養子縁組しているわけでも、ましてや婚姻届を提出したわけでもない。ごくごく内輪で小さなパーティをして、意思表明をしただけだった。僕は男女間であっても男男間であっても結婚という形式があまり好きでは無いと思っていたが、やはり、そう思うことが一番みんなにわかってもらいやすかったし、何より手塚がそうしようと言ってくれたので、僕は一も二もなく了承したのだ。
 例えそれが、僕達の意識の中だけにある、ささやかで、滑稽なものかもしれなくても。それでも必死だった。

 私たちの関係に対しては祝福してくれる人々よりも、そうでない人のほうが多かった。手塚は、二十頃に僕と恋人同士であることが家族に知れた後、彼の祖父と凄まじく揉めて、そのまま勘当状態になってしまった。祖父君が亡くなってしまった今では、実家に出入りできるようになったが最後まで和解がなかったことを手塚は後悔している。やはり外の家族とも、僕の話題は気まずいらしく、親戚連中には知られない様に注意を払っているらしい。
 僕の家もそうだ。僕が男の人と結婚したいと思っていることを母が知ったとき、彼女は困惑し、そして泣いた。父も長いこと執拗に反対し続けたが、全く応じない僕と長く話しているうちに、今では仕方ないと思っているようだ。姉は唯一、僕と手塚の親族の中で最初から二人の関係を擁護してくれた人だ。面白がっていた節もあるだろうが、アリバイ作りも手伝ってくれたし、逢引の手筈を整えてくれたことすらあった!彼女のことを考えると、手塚と終わってしまうことは胸が痛いが、それを電話で知らせたときにはそういうこともある、と笑ってくれた。明るい女性だ。それに対して弟とは未だに正面から話を出来ないでいる。確かに僕は手塚との関係について覚悟を決めたが、家族に嫌われるのは怖い。結婚式には来てくれたが、それも一瞬顔を見せただけのことなので彼の真意に僕は確信がもてない。ただ、その時に、白い花を大きな花束にして届けてくれたのは、彼の優しさだろう。いつか、彼とも話をしなければならない。
 僕たちは二人で生きてきたわけではなかった。多くの人々の中、向かい風を受けながらも、様々な関係の連なりでここまで生きてきた。
 それを思うと、手塚との終焉は悲しかったが、それすら時間の流れに従った結果だということなのだろうか。

 結婚してしばらく、僕達は順調だったが、蜜月は短かった。手塚はテニスのためにアメリカとヨーロッパ、オーストラリアを飛び回っていたし、僕の仕事もハードで不規則だ。しかし、僕たちは一刻も早く、社会の中で自分の居所を確定したくて、焦っていた。二人とも一先ず前へ進めばどうにかなると思って、立ち止まったり後ろを振り返ったりする時間をほとんど持たなかった。
 僕が会社を辞めてフリーのカメラマンになると、それまで以上輪をかけるように忙しくなった。手塚と会えることが、少なくなる。僕も手塚もあまりに忙しすぎてお互いを顧みることの出来ない日々が長く続いた。自分たちの仕事について、その必要性や自分がどれだけそれに情熱を傾けているかを語る時間はあまりにも短く、生活はちぐはぐにすれ違ってゆく。お互いがお互いを嫌いな筈はないのに、会えば相手を不快にさせるようなことを言ってしまう。

 僕は浮気性だった。男とも、女ともしょっちゅう浮気するようになった。僕自身は手塚に優しく出来なかったのに、会えない日は死ぬほど寂しく、何日一人の日々を重ねたって慣れることなんて出来やしなかった。誰かが隣にいなければ、眠れもしなかった程だ。しかしそれは浮気の理由にはならないだろう。多忙の中でもお互いの努力によって愛し合い続けることの出来るカップルたちは確実にいるのだから。
 僕は度重なる浮気を隠さなかった。むしろ、手塚に知って欲しいとすら思った。そして毎回毎回、彼は僕の残酷な行為に逆上し、僕を打つことすらあった。あの頃は僕自身すら自分が何を考えているかが解らなかったが、きっと僕はそれを望んでいたのだろう。手塚が、僕を見て、怒る。僕だけに、夢中になって激昂する。
 僕は、テニスをする彼を愛していたし、プライヴェートの、裸の彼も好きだった。しかし、僕に暴力をふるう彼もそれらと同じくらいにかけがえがなかったのだ。
 僕は、彼に打たれても決して抵抗はしなかった。当たり前だ。あの優しい手塚が、冷静な彼が、怒るようなとこを平然としたのだから。彼は暴力なんて手段はちっとも望んでいなかったと思われる。むしろ、僕に一撃くれるたびに、彼の心にも、痛烈な一撃がめり込んでいたに違いない。それを思うと、今も心底すまないと思い、大波のような後悔が打ち寄せる。
 それに何より、僕はスポーツ選手としての彼の、美しい身体を傷付けることなんて、死んでも出来なかった。
 ただ、怒りに打ち震える彼の顔をじっと見つめながら、呆けたように脱力し、強力な、しかし確実に手加減されている彼の肉体の蠢きを全身で受け止めたのだった。手塚が僕に暴力を振るった後には決まって部屋に閉じこもった。今だから確信する。彼はきっとその時、一人で泣いていた。
  愛していたよ手塚。世界で一番だった。
 しかし、そのような狂った関係も、手塚が選手として不調になり始めると終わりを告げることとなる。
 僕は焦った。自分が手塚を支えるどころか、彼を駄目にする存在となっていたことに。それだけは勘弁だった。僕の所為で、手塚が、僕の愛した彼じゃなくなるなんて。あの強靭な精神を持った男をそこまで手酷く裏切ったのが自分なのかと思うと、僕は僕を殺したくなった。
 二人の関係に疲れた手塚も僕と距離をとるようになる。
 僕の心も、度重なる不和にどこかが磨り減ってしまっていた。それでも、別居を始めた最初の頃は、心の中が煮えるように熱かった。だが、それもしだいに凪のような諦めに取って代わられることとなる。手塚が居ない時のほうが、遥かに安らかだった。悲しかったが、私達は、お互いにゆっくりと冷めていった。
 あの、長く静かな日々のことはほかに表しようがない。
 まだ過去になるには生々しすぎることもたくさんある。もう、僕の横に手塚が腰掛けることもないのかと思うと、少し切ない。

「不二」
 僕ははっとする。
 いつの間にか眠っていたようだった。手塚がソファの横に立って見下ろしていた。
「ごめん。まだ、片付け完璧じゃないのに……」
 舌がもつれてよく喋れない。手塚はそんな僕を見ると少し笑って綺麗なグラスに注がれたオレンジジュースを差し出した。
「飲め。酔いがさめる」
 僕はそれを受け取ると、一口で半分近く空けてしまった。喉から鼻に抜ける爽やかで甘い柑橘系の匂いは、僕の酒でむかむかした胸をいくらか救ってくれた。
「……ありがとう」
 謝罪の言葉が自然と出る。
 離婚式に向けて僕達は、今までにないほどお互いに譲り合い、穏やかな気持ちで協力しあった。それ以前の日々はあまりに切迫したものだったので、手塚は、僕が素直だったり笑ったりすると、今更ながら嬉しそうな顔をしてくれる。
「寝顔なんて、久し振りに見た」
 彼の言葉に、甘さや恋の気持ちは篭もっていなかったが、それが逆に僕の気持ちを軽くした。
「僕も、久し振りに見られたよ……。
 手塚、明日も練習でしょ?もう帰っていいよ」
 もうこの家は、名義が僕のものになっている。僕は結婚後に二人で買ったサンフランシスコの家を貰いうけ、手塚はロンドンに部屋をもっている。
「しかし、この山のようなゴミは……」
 どこまでも律儀で物事に決着を付けようとする性格は一生変わらないに違いない。
「いいよ。明日、友達でも呼んで手伝ってもらうから」
「しかし」
「いいんだ。この離婚式は僕のワガママだったんだしね」
 僕が、殊更おどけてそう言うと、手塚は昔には出来なかったような笑い方で少し笑った。別居した後、初めて会ったときは目のあたりが落ち窪んで、頬もひどくこけていたが、今の顔つきは健康的で、僕はそれを見るたびに心がほっとする。僕の大好きな顔だ。
「……じゃあ、ありがたく帰ることとするかな」
 離れることによって見えるものはたくさんある。僕達は愛を過信しすぎた。

 手塚は最後、僕に手を差し出した。もうニ度と会わないという訳ではないが、僕は敬虔な気持ちになって、彼の手を軽く握り返した。酒が少し入っている所為もあるが、普段よりも温かくさらりと乾燥した手だ。意識的だか無意識だったかは分からないが、手塚がさしだした手は左手だった。ラケットを握る利き腕だが、血のにじむようなまめはない。若いころは、グリップテープに血を染み込ませるようなハードな練習をしていた彼だが、選手として円熟してきた近年の手塚は己をよく知り、慎重に身体を扱うようになったのだ。長い指の皮が硬く節くれだっており、彼がもう青年ではないことを感じさせた。
「うん。バイバイ」
「ああ。サヨナラ」
 気がつくと手塚はもうジャケットを羽織っていて、余韻なく踵を返した。僕は彼の颯爽とした後姿を一回だけ見ると、またソファに沈んで幸せに眠った。玄関を閉める音が、耳の遠くで静かに聞こえた。
 とうとう僕は一人だ。
孤独だったが、二人でいた時に感じた孤独ほど寂寥としたものではなく、むしろ自由に繋がる開けたものだった。
 開放された気持ちで、僕は一つの終わりを受け止めた。

 手塚は僕の人生で出会った奇跡のひとつだった。彼自身のこともそのように尊敬しているし、僕と手塚、二人の関係の関係もそうだ。降って湧いたものではなく、二人で、必死になって作り上げた特別な関係だった。
 もう、僕たちは一緒にいる意味を見い出せなくなってしまったが、まだ、人生は長い。
 いつか、手塚にも、僕にも、もう一度奇跡の人が現れますように。
 嵐のような日々だったが、今はただ、二人とも今以上に幸せになれる未来を願うばかりだ。
 君のことはきっと忘れない。
 今日は最高の、離婚式だった。










2006.5.1加筆修正

端的に塚不二を表現するとこうなる。
でもこれが結構美化されていて夢いっぱいなマイ塚不二の一形態です。








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