瞬く蕾
彼は二年生の夏の終わりに山形の学校からやってきた。最初は学校が勝手に引き抜いてきた生徒を放り入れられて、しかも彼らがレギュラーをほぼ埋めるというのはおかしいということで、テニス部の部員や保護者会などからもかなりのクレームがあったらしい。夏から部長になっていた俺も、さすがに元からいた部員たちに対して不公平だと思ったので、みなの意見をまとめた原稿用紙とかを校長に渡しに行ったりした。最初は絶対的な拒絶反応だったのだが、しかしよくよく考えると、俺らが学校と一緒にさも悪者のように扱いがちな新しく入部した生徒たちも、言いようによっては被害者みたいなもんだと思った。観月も木更津も、柳沢も、最初は相当苛められたらしい。特に、尖った雰囲気だけど、華奢な印象の観月はターゲットにされたらしく、テニス部の部員ではない生徒からもこれ見よがしな陰口を叩かれていたということを俺は後になってから知った。そんな時期に、俺は確かに彼らをどうにか迎え入れなければならないと思っていたが、一年半一緒にやってきた部員たちの意見もたてなければならず、いろいろなものを見逃していた。対して観月の肝は据わっていて。何より彼は気丈だった。こっちに来た当初から部屋が一緒だった俺には、そのような被害にあっていることを微塵も見せず、ひたすら部活と勉強に打ち込んでいた。一緒に暮らしていれば、悪者だろうが善人だろうがただの人間だ。俺は、彼に賢明さに打たれた。確かに、もの優しい性格ではなかったけれど、一緒の部屋で寝ていれば、ふと緩む瞬間があった。そんな瞬間が増えてきたとき、やっと、俺は、観月が、テニス部内でかなりつらい思いをしているのではないか、と実感したのだ。
観月は寮でいつも黒ばかり着ていた。俺は彼が制服、ジャージ以外に黒やグレーではない服を着ているのを見たことが無かった。確かに、観月には黒がよく似合った。彼はちょっと他に見ないくらいに眼も髪も真っ黒で、肌色は雪国生まれ特有の濃い白だった。だから、彼には黒が良く似合った。彼はとても綺麗な顔をしていた。いつも何かに見張られているように細かいことばかり気にする男で、かなり神経質だったが、彼なりの誠実を持って生きているのがよく分かった。俺はその様子を見ると、こんな風に真剣な生き方をする人間というのが身近に存在しているということに感嘆の気持ちになり、何より彼の一途さが大変好ましかった。観月たちがテニス部に馴染むようになるまでは一悶着も二悶着もあったのだが、どうにか俺らは今までやってきてる。
俺は敬遠していたわりには、最初からなんとなく観月が好きで、いつもなんとなく観月ばかり見ていた。実家に電話して近況をはなすときも、友達の話題に関しては観月の話を一番多くした。彼は独特で、強烈だった。内に秘めているものが、滲み出しているような、そんな、容貌をしていた。
俺は一月最後の週末、外泊する予定だった。寮で生活を送ってはいるが、家まで寮から二時間程度で帰ることができるので、母親から月に一度は帰るようにと申し渡されていた。そうは言われても面倒くさかったし、何よりも寮は気が楽だったので、実際家に顔を出すのは二ヶ月に一度程度だった。例に洩れず、その日の帰宅も十週間ぶりのものだった。やっと顔を出した家では、帰らぬ俺に母は不満を溜めていて、彼女は部屋を片付けろだの、成績はどうなんだだの、些細なことに対する注意までがまぜこぜになった厳しい言葉をいくつか投げかけてきた。それに対して、俺は久しぶりの実家の空気に気が緩み、労わって欲しい気持ちが大きかったので、たまらなく苛立った。自分のことを棚に上げ、荒々しい言葉を返してしまう。熱くなっている頭の中、奥のほうでは悪いことをしているな、と分かってしまっているのに、売り言葉買い言葉で、そのまま荷物を掴んで家を飛び出してきてしまった。帰り道、人影まばらな電車の中は暖房の効きが悪く、寒々としていた。俺は熱くなった怒りと、深く沈んだ反省を胸の中で弄んでいた。さすがに涙は出ないが、居心地が悪くて居眠りもできない。寮に着いたのは門限を過ぎていて、真っ黒な寒空のした、白い息がもくもくと出ていた。外泊届けを出していたので、どうにか寮には入れるだろう。厨房の中から俺を見つけた寮母さんにしどろもどろな説明をすると、彼女は怒られた顔をしている俺を一目見て、大体のことを察したらしく、「何出戻って来てんのよう。門限過ぎてから入れませんよ」と笑われた。俺は彼女に手間をかけたことを軽く謝罪して、廊下にかかっている自分の名前の小さなプレートを在寮のほうに裏返し、部屋に帰った。寮の廊下は、外よりはましなぐらいで、それでも随分寒い。夕食は終わっている時間だったが消灯前の点呼まではまだ間があったので、まだ観月は起きているだろうと思われた。おそらく、俺が帰ってきたことを知ったら、嫌な顔をするだろう。観月は、言葉にこそ出さなかったが、俺とは生活習慣が合わないらしく、ちょっとでも俺が部屋を散らかすとくっと眉を上げて、眉間にしわを寄せた。俺はそんな彼のしぐさがあまりに頻繁に見られるので、時々笑ってしまうことがある。ニヤニヤしていると、観月が「わかってんなら、改善してください」といって、また眉をひそめるのだった。その程度に俺と観月は親しかった。
俺は、わざとノックをしないで部屋に入った。少しだけ観月を驚かせたかったのだろう。しかし、部屋の中では、観月は予想以上に顔を蒼白にして、固まっていた。何かおかしいぞ、と思った。それは、観月が黒じゃない服を着ていたからだった。観月は、水色のワンピースを着ていた。自分の机に座って、目の前には起動したノートパソコンが置いてあった。部屋の中からふわりと暖かい空気が流れてきて、彼はアイボリーのカーテンの前に背筋を伸ばして座っていた。異様で綺麗だと思った。瞬間的に、そう思った。
観月はしばらく目を見開いてこちらを見たままだったが、いきなり感電したみたいにノートパソコンを閉じて椅子から立ち上がると壁にかけられたダッフルコートを取って身体を覆った。そして部屋の中ごろに立っている俺の胸を叩いて、「出て行ってください」と言った。観月の声は屈辱に震えていた。一気に顔を真っ赤にして、俺に目をやれずに、深くうつむいた。俺は、どうしていいか判らずに、ひとまず、ひどく狼狽する観月がかわいそうになってしまって、謝った。
「ごめん観月」
「そんなのはいいから!」
観月はなかなか出て行かない俺に業を煮やしたらしく、もつれながらコートとワンピースを脱ぎ捨て、手近にあった直前まで着ていたと思われる黒の上下を掴むと、そのまま俺の横を通り抜けて部屋を出て行こうとした。俺は下着姿の観月を廊下に出すのはあんまりにひどいと思い、とっさに腕を掴んで部屋に戻すと、ドアを閉めて鍵までかけた。観月は相当興奮していて、とうとう肩まで震わせて、しかし、泣く様子はなく、うつむいていた。前髪が深く垂れ下がっているので表情はわからなかった。俺は別に、観月がワンピースを着ていたことは、そんなに驚くようなことじゃないと思った。ただ、観月がとても動揺しているので、これはきっと観月にとっては秘密にしておきたいことで、俺なんかが見ちゃいけないことだったに違いないということがわかった。俺の前でパンツだけの観月は自分のベッドに腰掛け「ああ」と落胆の声を上げた。
「ごめん観月……」
俺はもう一度謝った。観月はいらいらしたらしく声を荒げた。
「うるさい。あやまるな。あんたは関係ない」
空気にさらされる観月のやせた猫みたいな体がなんだか目に見えて冷たくなってゆくようで、俺はひとまず彼に服を着てほしいと思った。
「ひとまず、服、着ろ」
しかし、彼は頑として動かなかったので、促すように付け足した。
「肩が冷える……」
「………」
観月は少し動かずにじっと座っていたが、俺がその場から動かず、黙って立って待っていると、もぞもぞと服を身に付けた。俺は彼が全部着るまで立ったままだったが、身なりを整えた彼がこちらに一瞥をくれると、このまま立っているのもおかしいと思ったので自分の机に、ずっと背負ったままの荷物を置いて、部屋を出て行こうとした。俺からは何も聞けないと思った。しかし、観月の前を通り過ぎたとき、彼が「待って」といったので、俺は足を止めた。観月の後ろで、脱ぎ捨てられた柔らかい生地の水色のワンピースがベッドの上に丸まっていた。さっき一瞬見た様子では襟のついた長袖で、膝丈ぐらいのきれいな服だった。
「動揺してしまって……。怒鳴って。
ごめんなさい」
観月は、今まで聴いたこともない殊勝な声で俺に謝った。彼が、こんなに、人にすがって話すのを俺は今まで聞いたことがなかったので、その似合わない様子に少なからず焦る。
「赤澤は、何も悪くない。
行かないで」
観月が引き止めたので、少し考えて、彼の隣に腰掛けた。自分のベッドに座っても良かったのだが、こうした方が、なんか、もし、観月が俺と対面するのが嫌だったりすることもあるかもしれないので、良いと思ったのだ。俺は、何を言ったらいいのか、解らなかったので、なんとなく
「ワンピース」
と呟いた。観月は笑った。
「馬鹿みたい」
確かに俺は阿呆のように何も考えず一言発してしまったので、それはおかしかった。観月は少し平常に戻ったようだった。
「落ちついたか」
「ええ」
「俺、チョコレート持ってるけど、食う?」
良く、こういう時に、映画とかで気付けにブランデーを渡すシーンがあるよなと思い、でもブランデーがあるわけないので、自分の持ち物の中からなんとなくそれに近そうな雰囲気の物を言った。カフェインが入ってるし、甘いから、少しは落ち着くような気がしたのだ。「いらない」と観月は断った。
「なんと言うか、ちょっと話を」
これから観月は、とても大切なことを話すのだと思った。俺は、観月がワンピースを着ていて、それを見られたことに激昂したことの理由を推測することくらいは出来た。きっと、観月はとてもスカートとかが着たくて、でも、それを恥ずかしいことだと思っているからだろう。それが女装趣味なのか、女になりたいのか、細かいところは分からないが、観月にとっては一大事に違いない。少なくとも、俺みたいに、何にも考えずには男をやってられないようなことなのだろう。
「何か……時々、僕のこと、おかしいって言ったでしょう?」
観月は、黒いジーンズのひざに両手を置いていた。俺は彼の顔が直視できなかったので、その手を見ていた。よく見ると、小指が、小刻みに震えていた。声も明らかに緊張して、震えこそしなかったが妙に低かった。
「……え」
「おかしいって言うか、男じゃないみたいって言ったことあるの、覚えてます?」
決定的な記憶は無かったが、言ったかもしれない。
「ごめん、気にしてたなら、あやまる」
俺が言うと、観月はいつものように眉間にしわを寄せた。
「良いんですよ。
そうなんですから。
そうしたいんですから」
観月は顔の前で手を組み合わせて鼻を鳴らした。
「僕ね、女の子にあこがれてるんです。
と、いう、か、男でいるのがつらい人間なんです」
「つらい」
「なんて言ったらいいか……。
ほら、最近ドラマでもやってたの、知ってます?
あんな感じで……。
でも僕の場合は逆で……」
観月が娯楽室でニュース以外の番組を見ているところをあまりみたことがないので、ドラマの話をしたのが意外だった。俺もそのドラマは時々見ていた。心は男の子なのに、体が女の子で、苦しむ登場人物が出ていた。
「観月は、女になりたいってことか?」
俺がそういうと、観月は首を傾けて、見極めるように目を眇めた。
「というか、それも少し違うんですけど……
ホント、どういったら言いか、よくわかんないんですけど……。
別に、すごく女の身体になりたいってほどでもなくて。大変そうだし……。
でも、男でいるのはつらい」
観月は歯切れ悪くしゃべっていた。いつも断定口調で言い切るので、珍しく語尾を濁しながら話す様子は、妙に彼を幼く見せた。
「難しいな」
俺は今まであんなことが身近に起こっているなんて思いもしなかったので、うまい言葉が見つからなかった。ただ、うかつなことを言うと、観月をすぐにでも傷付けてしまうような気がして、慎重に言葉を選んだ。
「……服とか、時々、綺麗なの、すごく着たくなるんです。
街で売ってるみたいなやつ。
駅とかで、白いコートとか着て、ブーツはいてたりする子、見ると、いいなあって。
付き合いたいとか、そういうんじゃなくって。
ああ、何も気にせず、スカート穿けてうらやましいなあって、おもうんですよ」
「へえ」
俺は観月が一生懸命話すのを聞きながら脈拍があがった。今までなんでもない同室の男だと思っていた観月が、いきなり大切に扱わなければならないとても遠い存在のように思えた。こういうのをよくない哀れみというのだろうか?俺は観月を哀れんでいるのか?だったら嫌だ。
「……変ですよねえ」
「んー……」
「ねえ」
観月はまるで俺が彼のことを否定したらそれによって許されるとでも思っているみたいに、同意を求めた。観月に、こんな甘ったれた、つまらない「ねえ」なんて響きは似合わない。観月は綺麗なワンピースを着ていた。何でそれが許されないんだろう、と思った。確かに、あの格好のまま部屋の外に出たら観月は変だと思われるだろう。でも、変って、どうしてだろう。あんなに、観月は、普通にしてたのに。俺は観月が観月自身のことを変だというのがたまらなくいやだと思った。観月はいつでも、自分を信じて、確信に満ちた足取りで歩いていると思ったから。それに、今ここで、観月の言うままに認めてしまったら、きっと、彼と本当に話したいことが話せなくなる、そんな気がした。俺は、今の気持ちを話さなければならないと思った。
「……俺さあ。今まで、そういうこと多分思ったこと無いから、細かくは、わかんねえけど、変とか言うのは、よくねえぞ。
なんつーか。いや、マジできちんと考えたこと無いから、偉そうに言えないけど、別に自然にそう思うんなら、自然なことなんだろ。観月にとっては。多分。かな?
それにさ、別にお前だけじゃないと思うし。そう思ったりすること。金八でやるくらいなんだし。
変とか言うな。
別に、お前、変じゃないよ。
いや、変かもしんねーけど、そしたらきっと俺も変じゃん?
あーわけわかんねえな。
つか、ヒガっつーの?そういう風に言うの、よくねえよ」
ちっともうまく言えなかったが、一応、言いたいと思った気持ちは、だいたい言えた、と、思う。すると観月はいつもの、あんまりシリアスじゃない顔になって、
「卑下です。ひ・げ!」
と俺の間違いを叱った。俺はそれが嬉しかった。
「うん、まあそんな感じ。
ワンピースとかいって、すげえ着たいんなら着た方がいいんじゃねえの?別に、似合うとか、似合わないとかじゃなくてさ。いや、観月、似合うと思うけど」
「んー……」
「や、あんま、おれ、よく分かってねえかも知んないけど」
「――参考になる解釈ですね」
観月は落ち着いたようだった。小指の震えが止まっていた。ならいい。それでいい。観月が安心していられるなら俺は何だっていい。俺はその日から観月のことを考える時間がとても増えた。俺は、きっと観月が誰かと付き合ったりしたらそれが耐えられないだろう、と思った。そう思って、ああ、これは観月が本当に好きだってことなのだ、と気付いた。
そのときの、俺の対応は間違いではなかったらしく、次の日の朝起きてからも、観月は今までどおりだった。起き抜け一番初めに目を合わせたときは、彼はなんだか微妙な顔をしていて、俺もどういう顔をしたら言いかがわからず微妙な顔をしたら、観月がちょっと口元を緩ませた。俺は安心した。あのあと、点呼するまでお互いうまい会話もできず、気まずかったし、観月は夜中まで寝付けないようだった。今までも俺と観月の関係は極めて友好とは言いがたかったが、それが完璧に断絶されてしまうかと思うと恐ろしかった。観月はその日から、少し俺との距離を詰めるようになった。部活中に部長とマネージャで連携しなければならないときも、今までよりも目配せが良く通じるようになった。ただ、観月は二度とあの水色のワンピースを着ようとはしなかった。俺も、そのことを話題に出すのは怖くて、あの日のことを二人とも封印していた。観月は相変わらず肌をあまり見せない窮屈な黒い服ばかり着た。黒い服の山は、観月にとって喪服みたいなもんなのではないだろうか。毎日黒ばかりを着るのは殺し続けなければならない、観月の中の観月に対する弔いだ。観月は、今まで誰にも話せずに、毎日自分を殺していたのだろう。俺はそう思うと、少し涙がにじんだ。そんなのってあるか。俺たちはまだ、十四なのに、何でそんな観月がつらい思いをして、いろんなことに怯えながら過ごさなきゃならないんだろう。幼い俺は観月を好きでいることしかできない。無力に泣きたくなる。好きでいることしかできないなんて。
年度が空けて俺たちは三年になった。一学期最初のテストが近く、部活が休みだった日、俺が勉強している間に、観月は机周りやクロゼットを片付けだした。観月の生活圏内は、もう片付ける余地がないというくらいに整頓されているのに、それでも彼は毎日掃除をする。俺は、それが嫌だった。なぜかというと、そのまま観月が身辺を整えて、いなくなってしまう気がするからだった。クロゼットを片付けているとき、観月はハンガーに掛かっていた水色のワンピースを手に取った。俺は彼の姿を見ていたわけではないが、黒ばかりの中に水色があったので、視界の端に止まったのだ。彼はそれを丁寧に畳んで、引き出しを掘り返して、その奥にしまおうとした。俺は少し勇気を出して、観月に聞いた。
「しまっちゃうのか。それ」
観月はこちらを見ずに、せっせと衣服をかきだしながら、ええ、と答えた。
「なんで。出しとけよ。綺麗だから」
「開けてすぐのところに置いといたら、誰に見つかるともわからないでしょう?
無駄な詮議をかけられるのは嫌だ」
観月は事務的に言って、ワンピースをあらかじめ用意していたと思われる紙袋に入れた。
「……そういやさ。そのワンピース、どうしたの?買ったのか?」
「盗んだんです」
言いようがあまりに自然だったので、俺は驚いた。
「え」
「嘘」
「え」
「本当」
「どっち」
「お姉ちゃんのクロゼットから」
まったく声の調子を変えずにいう観月は、どうやら、俺にワンピースのことに関して触れてほしくないようだった。
「へえ……」
「ええ」
「なあ、それ」
「何」
俺が、それでもしつこく話しかけると、観月はうっとうしそうに答えた。
「やっぱさあ。出しとけよ。嫌なら俺のクロゼットに入れときゃいいよ。なんか聞かれてもプレゼント用とか言っとくし」
「嫌。汚されそうだもの」
にべもない。確かに観月のその意見は間違いないが、観月がその服を引き出しの奥にしまいこんでしまうのは良くない、と思った。せめて、その服は、観月の目に止まる場所に置いておいたほうがいい。
「……いや、リアルな話、それ、しまわない方が、いいと思う」
「何で。しつこい」
「俺の前だけでもいいから時々、着たら?」
正直な話、あの冬の日に薄いワンピースで暖かい部屋にいた観月を俺はとてもいいものだと思っていた。
「何それ」
「や、別に…何つーか」
「嫌味ですか」
観月は急に、時々見せる自分勝手な調子になって、俺を断罪した。俺は心外な単語を出されて、急に腹がムカッと来た。
「はァ?何でそういう意味にとるわけ」
「だってあんた。壊れ物扱うみたいに。
この前のこと、気まずいと思ってんだろう?
優しくしなきゃって?こいつは普通じゃない子だから」
こういうときの観月は、本当に彼特有の、意地悪そうな顔をする。観月のヒステリーを知らないテニス部員はいない。俺はうんざりした。
「はあァ?」
「確かにそうですよね。
今のうちだけでも綺麗なかっこしとかないと、これからどんどん男性ホルモン強くなってきて、脛毛も生えるし!僕、毛薄い方だけど髭も生えるかもしれないし!
ああもうヤダ!
何で僕は男なんかに生まれて来たんだろう
人に隠して、ばれたらばれたで馬鹿にされて!」
ちょっと尋常じゃない声の荒げ方で観月は文句ばかり言った。でも、その口調は、本気で、もう本当の本気ですべてを憎んでるって感じじゃなかった。俺の判断だから良く判らないけれど、それは、俺に話を聞いてほしい感じの、わがままな言い方だった。
「してねーよ!」
「してます。してないって思っていても、絶対ちょびっとはしてます!」
だけど、俺も、こんなに立て続けに嫌な言葉ばかりいわれると、やさしくしていようという気持ちがしぼんでしまう。
「すねてんじゃねえよ!馬鹿」
馬鹿、と言うと、観月は目に見えてカチンときたようだった。観月は自分の能力や学力に関して、それを少しでも傷つけることを言うと必ずそこに引っかかった。
「馬鹿?僕に馬鹿って?」
馬鹿だ。観月は。彼は、そんなこと気にする必要もないのに。
「そーだバーカ!
別に、自分の身体に満足してねえのは、お前だけじゃないと思うぜ?
つか女も脛毛は生えるっつーの!
そりゃ、観月は男の体でいるのが嫌で、それはシンドイことだろうし、痩せたいとか思ってる女共とは、格っつーか、訳が違うと思うけど。
いーじゃん別に似合ってるんなら。
変わるのが怖いって、今だけだって、そんなの俺も一緒だよ。
俺だってジジイになれば腹が出たりたるんだりするだろーよ。
おっ前、カルーセル麻紀見てみろよ。
がんばってんじゃん。美人でいようって。で、結構美人じゃん。いや、カルーセル麻紀の細かい事情とかはしらねえけどな?
お前美人だもん。オレ的に。普通じゃねえよ。
ワンピースも似合ってると思ったよ。嘘じゃなくて。
今美人だったらさ、気い抜かなきゃ、これからも美人だって!
おまえ、美人って、すげえ特よ?
男の体、つらいかもしんねえけど、美人なんだからさ。それでいろいろカバーできるって」
美しいと言うのは、正直な話、力として偉大だと思う。美人と言うのは、能力のひとつにも近いものなのではないだろうか?観月はもっと自分の容姿を利用してもいいと思うし、それによって何か得をすべきだと思う。確かに美醜の判断は人によりけりだし、彼はなかなか癖のある感じなので好き嫌いはあるだろうが、少なくとも俺にとって、観月の見た目って言うのは、性格とか、勤勉さとか、テニスの能力と同じくらい影響を与える重要なことだった。
「誰がカルーセル麻紀ですか!」
「カルーセルはいいんだよ!」
「美人とか言って僕はだまされません」
「バーカ!」
「馬鹿って言うな!」
「壊れ物扱ったり優しくしたりすんのはべつに悪いことじゃねーじゃねーか。
俺、お前のこと大事だもん。優しくしてえもん。
気まずいのは当たり前じゃねーか!あんな恥ずかしがってて!
人の好意もわからねえ馬鹿は嫌いだ」
散々口げんかした挙句、観月は俺が本気で彼のことを好いているということに気付き、気付いたとたん、見る間に戦闘意欲が萎えたらしく、そのままタオルを掴んで風呂に行ってしまった。俺は確かに腹が立っていたが、それと同時に、人が多い時間帯に風呂に入りたがらない観月がピークの時間に出かけて行ったことがちょっと気になった。観月はなかなか帰って来ず、俺がどうしようか、自分も風呂に行こうかと思う頃になってやっと帰ってきた。いつもは嫌う人が多い時間、観月を風呂に行かせてしまった事が、なんだかとっても悔やまれることをしたように思え、俺は頭をごしごし拭く観月の前まで歩いていって「言い過ぎた。ごめんなさい」と謝った。観月は「あやまんの早すぎ」とすまして言った。そして、頭にタオルをかけたまま顔を隠して「別に――僕も何か……悪い、感じ……」と謝罪っぽいことを口にした。その様子が、びっくりするくらい可愛くて、俺は観月にキスしたくなったが、我慢した。
その日から一番近い週末、俺は嫌がる観月を無理やり引っ張って行って、俺が良く行く安くて趣味のいいユーズドも置いてある服屋に連れて行った。その店は、女物と男物がごちゃ混ぜで置いてあったので、観月の気に入るものがあるかもしれないと思ったのだ。最初、慣れない感じの店内に観月は嫌そうな顔をしていたが、ビーズでオレンジ色の鳥が刺繍されている小さなバックを見つけると、少し眉を上げて手に取った。
「好きな服、選べ。あんま高いのは無理だけど。
着たいもの着ろよ。
似合うかどうかは、俺が教えてやるから。きっと似合う。観月には何でも似合う。
花柄とか、きれいなの、好きなんだろ。
人に笑われるかもしれないとか思って、外で着られないなら、寮の部屋でだけでも着ればいい。
俺が見るから。観月にはきっと何でも似合う」
俺が言うと、観月はうれしそうに笑って、その後、意地悪い顔になって「……やっぱ、カルーセル麻紀っぽいのがいいですかねえ」と言った。
「だからカルーセルはいいんだよ!」
翌日、観月は新しく買った黒地にベージュとピンクの花柄のシャツを着て寮の食堂に朝飯を食べに行った。さらりとした薄い生地で、ちょっと体が細く見えすぎると思ったが、よく似合っていた。また黒を選ぶのはやめたらいいんじゃないかと意見したら、観月は「いきなり、パステルカラーとかは回りがびっくるするでしょ」と言った。木更津は「何か観月、いきなり色気づいた?」と言い、柳沢は寮に似つかわしくないとからかった。裕太はちょっと瞠目してコメントしづらそうにしていた。観月はみんなの反応を鼻であしらうと、「貢ぎ物です」と笑った。
2006.5.1加筆修正
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