ぼくはハートのエース
滝萩之介と言う男は、非常にわがままである。
われが、ままに生きている。
1 若き萩之介の悩み
滝は納得がいかなかった。
「…ありえない」
彼が鏡を見ながら文句を言うのは今に始まったことではないので、その近くに居るレギュラーおよび準レギュラーたちはたいていそれを鳥のさえずりがごとく自然現象の一部として受け流す。平の部員がその近くに居た場合は、時折捨て置くこともできず愛想笑いなどを浮かべてその理由を尋ねることもあるが。
「何で疲れると左目だけ一重になるの〜!?」
どうやら彼が今日思案にふけっているのは、自分の左目が一重であるか二重であるかの問題らしい。なるほど。それはおおごとだ。リトルマーメイドのアリエル姫((C)ディズニー)がきらきら光るビーズの中で微笑するという非常にファンタジックかつ乙女チックなカバーの付いた鏡を両手に覗き込みながら滝は彼の人生の一大事に対峙していた。ちなみのその鏡の出所はというと、彼の誕生(十月二十九日)に岳人と忍足が共同出資でプレゼントしたものである。二人は、からかい半分といった感じでこのたいそう可愛らしい身回り品を送ったのだが、当の滝の喜びようといったら予想外のもので、送った方が少し引いてしまったりした、という話がある。
閑話休題。
とにもかくにもまあ、滝萩之介、今一番の心配事は右目と左目の大きさが著しく違う(彼の主観)ことなのである。彼の左目は疲れたときや寝起きには一重になるのだった。滝はそれが気に入らなかった。写真に映したときも、鏡を見たときも、左目の方が少し小さい。自分の顔で気に入らないのはそこだけだった(というのもすごい話だ)。僅かばかり小さい(他からの客観)左目は中学にあがってからこちら、彼の心を悩ませている。滝の自意識が芽生えるのは非常に早かった。小学校五年生のときに宇宙の果てはどれくらい遠くにあるのか?またはないのではないか?あったところでその先はどうなっているのだ?という難問に胸を悩ませたり。真の善とは何か?真の悪とは何か?またはないのではないか?あったところでそれを知ることってできるのだろうか?という難問に頭を抱えたり。ちなみに、彼の小鳩のような胸を惑わせていたその哲学的疑問を跡部氏(同小学五年生)に相談したところ、「俺だ」という明快かつ力強い(かつ適当な)禅問答的回答をもらった。
閑話休題。
とにもかくにもまあ、滝萩之介は自意識が芽生えるのがまま早く、自らの心の中でさまざまな思案をめぐらせるのが好きであり、その中でも一番の関心ごとは自分というものであった。滝はそれなりにめぐまれた容姿をしていた。いまだ十代半ばであるため、その未熟さが、彼の母親(元タカラジェンヌ。雪組)の誉めそやす「もし男版宝塚があったら、萩之は絶対娘役だわ」という中性的容貌を作り上げていたのだった(誉めそやす?)。蝶よ花よとまではいかないが、末息子として生まれ、可愛い可愛いと言われながら、親の寛大な許容と兄姉たちの手荒い愛情表現の中で育ってきた滝は、ジェンダーを宙ぶらりんにしながらも、疑うことなく自らを常に愛の対象とし、幸せに(幸せの定義がここに当てはまるなら)生きて来たのだった。勉強も褒められるのが嬉しくてそれなりにこなしていたし、スポーツだって良く出来た。氷帝学園テニス部においては多くの部員、熾烈なレギュラー争いの中でなんとなく上り詰め、要領よくその座を手に入れてしまった。かといって、跡部のような天上を目指してブッちぎって行ってしまうような極端な生き方ではなく、見事なまでに滝は「中の上」にある上質な穏やかさを暮らしていた。
先頃、そんな彼が、人生において最初の大きな挫折を経験した。
レギュラー落ちである。
―――――あれって、どうなの?氷帝学園のレギュラー制度って、おかしくない?てゆうか、俺、負けたの?あんなに簡単に!
全く青天の霹靂、その日、彼の世界の秩序は崩れ(大げさな)、自分って、とても不安定な、頼りのない生き物なのだ、ということを知ったのだった。
または、一寸先は闇。
―――――もしかして、人生って、意外と甘くないんだ。俺の心はこんな簡単に揺らぐなんて。今上手くいっていると思っていることだって、明日にはわからない。
彼は自分に欠落があるのを恐れるようになった。一つ欠けると、後のものももろく崩れ去ってしまうのではないかという妄執に取り付かれ、非常に神経質になった。
しかし滝は、ある意味非常にポジティブな精神の持ち主であった。
駄目だったり、嫌なことは、努力して解消すればいいじゃん?
そこから、加減を知らない奮闘の日々が始まるのだった。
努力で全てが解決されると思っている時点で、やっぱり末っ子のぼんやり坊ちゃんであるという指摘は否めないけれど。
2 部室にて
週は明けて。
―――――滝の顔が少し違う、様な気がする。なんだか、先週よりは左目の二重がくっきりしているような。していないような(しているような)。
忍足は思案した。
―――――もしかして、プチ整形?でも、聞けるわけないやん?
そりゃそうだ。皆滝が自分の左目をどうこう言っていたのは良く知っていて、目ざとい生徒ならば彼の左目が非常にバランスよく右目と同じくらいになっていることに気付いていた。どこのクラスの何とかという女子は整形したらしい、だとか、女優の誰は絶対デビュー当時と顔が変わっている、だとか、からかい半分話の俎上に挙がることはあるが、実際のところ身近な人間がそうと疑わしいとなると、全くアンタッチャブルな話題になってしまう気がした。岳人あたりも、朝錬の段階で滝の顔を盗み見るようなそぶりを見せていたので、気付いているに違いない。
しかし、やはり猛者というのはいるわけで。そしてそれは、期待を裏切らぬわれらが部長であった。
「滝、お前、土曜と顔ちがくねえか?
…なるほど、プチ整形ってわけね!」
インサイト(?)で見抜いた跡部は躊躇することなく高々と言い放った。さすがである。金と権力と才能と面構えに困ったことがない人間は言ことが違う。忍足は跡部のことをかっこいいと思うが常々苦手だと思っているが今日ばかりはやはり爽快な性格だと思ったがしかしそれは忍足の中にある跡部への苦手意識を増大させたのだった(結論:苦手)。
そして跡部にすばらしく通る声で指摘された滝のほうはというと、肩をびくりとさせて硬直していた。
「ソンナコトナイヨー?」
全て裏声で跡部をごまかそうとするが、そんなことアリアリであろう。憐れな、と忍足は思った。横で着替えていた岳人も、憐れな、といった表情で悲しげに滝を見ていた。跡部は自分の中で滝がいつもと違う理由が解決されるとそれで満足したようで、先日発売された自分のシングルCD(バレンタインデー・キッス、オリコン20位)の歌を口ずさみながら着替えに移ってしまった。滝はそれでもしばらく逡巡したあと、いきなり機械的に動き出すとものすごい速さで着替え、お疲れを言う暇があらばこそ、脱兎のごとく部室を後にした。
「お前、もったいねえことしたなあ」
滝がいなくなった後、跡部はいなくなった彼に気付かずネクタイを結びながら(というか樺地に結んでもらいながら)話しかけた。
「お前の目、右と左で大きさが違うのが、なんか色っぽかったのによ」
跡部は自分が美しいと思ったものや気に入ったことは恥ずかしがったりせず、憚ることなく口にする稀な中学生であった。しかし、当の滝が聞いたら、屈折した喜びを感じ、それなりの気恥ずかしさと共に気分を良くしそうなほめ言葉は彼の耳のは入らなかったのだった。
「部長?滝さん、帰りましたよ」
「ああ、そうか。せっかちだな」
真っ直ぐに心優しい鳳が滝の不在を告げなければ、跡部は滝が自分の言葉を聞かなかったことを一生認知しなかったろう。しかし、別に、跡部にとっては、自分の感想を他人が聞いていようがいなかろうが、どうでもいいことなのだった。彼にとって自分が思えばそれが全てであるのだから。それに彼は跡部景吾なのだから(意味不明)。
それはともかく滝である。
「あいつ、ちょっと、最近、おかしいよな」
岳人は忍足の心配事を的確に口にした。
「ああ、ちょっとやることが極端になってきとる」
この頼りがいあるちっちゃな巨人は人の心の機微に対していつも公正で距離感を持った感想を言える男であった。ので、忍足は彼のそのようなところが非常に好きであった。
「整形、ホントにしたらしいな」
「ああ」
「顔だけなら十分美人なのにな」
岳人は「だけ」の部分をことさら強調して言った。
「がっくんて、時々冷たいわな」
「滝、このままだと、エステとかにも行きだすかもよ」
「それは、ちょっと…」
かわいそうな滝は、レギュラー落ちしてから匙加減がちょっとおかしくなった。いきなりプチ整形を実行に移したのは、その現れの一端だろう。
宍戸ははたから滝と跡部のやり取り(というか跡部がほぼ一方的に話していただけだが)を聞きながら困惑した。
――――整形?滝が?男だぞあいつ?それともおかま?
彼の戸惑いは中学生としてはそれなりに順当なものであるだろう。宍戸は橘の一件よりこちら、自分に厳しく人にもそれなりに、という身上で自分を更正してきた。彼は良くも悪くも、不健全な部分まで、非常に健全であった。宍戸にとって、滝のひねくれた行動原理はすんなり推測し理解できる範疇を超えていた。それはそうだ。一般男子学生が片目が一重になるくらいのことで整形に踏み切ることはほぼないといっても言い。そんな訳の分からんことは宍戸の世界観からすればただの摩訶不思議事件になってしまう。非常に標準的かつ健康的男子。そこが彼の長所でもあったが、滝からすれば苦々しく思える部分なのでもあった。ただし宍戸はちょっと鈍かったが無神経な男ではなかったので、滝が最近ちょっとおかしいのはレギュラー落ちしたからだ、ということぐらいは推測できていた。そのような運びになった流れを作ったのが自分だということも。さすがにそれを思うと胸が痛くなり、勝ち負けではどうしようもできないもやもやしたものが胸を覆うのであった。まだ彼はそれを上手に処理し、心に落ち着ける手段を知らない。それが触れていいことなのかすら分からない。ただ、それなりに親しい友人であった滝のことを、憂うだけではどうしようもないと言うことだけを痛感していた。しかし、
―――――て言うかあいつ、何か昼ドラみてえ。
宍戸はこのような気持ちを抱くのを禁じえなかった。
3 クリシェ
さてその頃滝萩之介はどこで何をしていたか?星瞬く夜空の下、公園でスンスン泣いていた。部室で跡部に指摘された瞬間に、何か大きく黒いものに心が襲われて涙が出そうになったが、そんな無様は彼のプライドが許さなかったし、家に帰り夕食も食べずに部屋に閉じこもれば家族が心配してしまう。母(元タカラジェンヌ。娘役)の息子を心配するさまといったら一大事の態なので滝はあまり彼女に心配をかけたいとは思わない。晴れた夜、月の見える公園というのは滝にとっていかにも学生が涙するのにふさわしい場所に思えた。何より静かで人が居らず、自分のカタルシスを遮るものが何もない。これは大切な条件であった。たとえば、ものすごく腹を立てるとか、身も世もなく悲しむとか、自らの感情におぼれたとき人にそれを邪魔されるのは、滝にとってあのカサカサ動く茶色いハネの虫(正式名称はおぞましいので言わない)の次くらいに嫌なことだった。滝はとっても自分の心というものを大事にしていたし、全てが美しく筋道立っていないと気がすまない性格だったから。
「ふう」
滝はひと泣き終えると小さくため息をついた。そうして自分のため息を聴いてさらに情けない気持ちになった。何故か?
「だってさあ。馬鹿みたいだよね」
何が?
「自分で望んで整形したのに、人に指摘されるとすっごく動揺しちゃって」
滝は、プチ整形をしたことを鮮やかに見破られたことよりも、それを暴露されて動揺した自らの方を憎んだ。そう、滝が一番恐れるのは自らの揺らぎだった。
いっぽう、夜の道を一人の少年がスッタスッタと歩いていた。日吉である。
―――――馬鹿らしい話だ。整形だと?しかもpetit(フランス語)?プチって何だプチって。プチだろうがなんだろうが整形は整形だ。方便に過ぎない。親にもらった身体に病気でもないのに刃物を入れようなんて神経、理解しがたい。
日吉は大変素直な子であった。だから、親の整形における価値観を彼もきちんと受け継いでいた。しかし、彼の機嫌を今いっそう悪くしているのは他人との価値観の相違についてではなかった。
彼は、遠くから聞きながらも跡部の言葉をもっともだと思っていた。プチ云々のところではなくて。
日吉は、滝の顔が、左右非対称なのを気に入っていた。というほどではないけれども、いつも彼の顔を見るたびにそのことに考えをめぐらせた。滝がうつむくと、さらにそれがよく判った。レギュラー落ちした滝は、いつもどこかしら不安げで、表情に憂いと深みが出た、と思う。それと、あのアンバランスな目は、とても似合っていたのに。
つまりは、日吉は、彼が気に入っていたものが自分の知らないところで失われたのが、少し、悔しかったのだった。しかし、そんなほのかな気持ちは、潜在意識の中に渦巻いていただけで、彼自身は苛立ちの原因を正しく認知していなかった。
ひとまず、そんな日吉が、公園で泣き暮れている滝を見つけるのは、偶然にして(同人的)必然であった。
―――――あ、面倒なもん見つけた。
というのはその時の日吉の正直な感想であったが。
4 緑の瞳
「なんでししどは、そんなかおをしているの?」
部室で皆が着替え終わってから、やっと目を覚ました慈郎は不思議に思ったことを正直に聞いた。宍戸が、さっきからとっても怖い顔をしていたからだ。
「あ?俺の顔がどうかしたのか?」
宍戸自身はそれに気付いていなかったが。宍戸は、こういうときの慈郎が嫌いだった。なぜなら、最も誤魔化しが利かなかったし、一番言われて嫌なことを言うからだった。きっと、自分が滝に対して抱えている、嫌な気持ちを指摘されてしまうだろう、と予感した。
「だって、たっきんが出てってから、ししどはとてもこわいかおをしているよ?」
彼はゆっくり喋った。
「ああ…」
慈郎の目は、きらきらしていて、タピオカみたいだなあ、と宍戸は思った。
「なんで?」
「だって。あいつ最近おかしいしよ」
「そう?」
「そうじゃねえか、今日のなんか特に」
「ふうん」
慈郎は、自分はそのことに気付いていなかった、といったような顔をした。
「……俺のせいかもな」
宍戸は、初めて口に出した。言葉に乗せると、なんて単純なことなのだろう、と思う。
「たっきんがまけてから、たしかにたっきんはちょっと前とはちがくなったけど、でも、いちばん変わったのは、たっきんじゃなくて、おおとりとかししどだよ?」
慈郎の指摘は、とても正しかった。
「なんでたっきんと話ししないの?」
言葉を重ねられ、宍戸は喉の奥に硬くなった自分の気持ちが詰まってしまったような、そんな重たさを感じた。
「負けたらくやしいけど、友だちがいなくなるのは、もっといちばんかなしいよ」
「そうだな…」
「話さなきゃわからないことって、いっぱいあるって、パパもゆってたもん」
慈郎は漢字がぜんぜん書けないし、地名や人の名前をおぼえるのがとても下手だけど、はるか遠くまで見通せる、とてもよい目を持っている、と宍戸は思った。
「どうしてもレギュラーになりたくて、たきと試合したんでしょ?だったらししどは覚悟しなきゃとおもうよ」
「え?」
「負けた滝のきもちを、きちんとみる覚悟」
横で宍戸を待っていた鳳も、黙って慈郎の話を聞いていた。すぐに泣く鳳は、やっぱり今も、少し目をうるませていた。
5 クリシェその2
スルーしたいのは山々だったのだが。遠くからじっと見つめられ、そこを無視して帰れるほどに日吉は薄情な子ではなかった。または視力が良かった(右1.5左2.0)。仕方無しに、電灯に照らされたベンチに彼はきびすを返した。それに最近は子供や中学生を狙った物騒な事件が多発している。そんな中、滝が被害にあったら夢見が悪かろう、と思った。
「あんた、こんなとこで泣いてないで早く帰ったらどうですか」
人の泣き顔というのは、近くで見ると心をざわつかせるものがある。日吉はなるべく穏やかに言おうと思ったのだが、いつものように、そっけない口調になった自分の不器用を忌々しいと思った。案の定、滝は一言も発せずに、真っ赤に腫らした目からさらにするすると涙をあふれさせた。せっかく、整形までして気に入った形に整えた左目が台無しじゃないか。
このような時は、黙っているのがいちばんだと日吉は判断し、テニスバッグを肩から下ろし、滝の隣に腰掛けようとした。すると泣きながらも滝は少し身体をずらし、日吉が座りやすいようにスペースを空けた。その様子が、あまりに甘ったれた感じだったので日吉は少し、笑ってしまいそうになった。ハンカチ(PAUL&JOE、花柄)を時々目に押し当てながら、滝はしばらく泣いていた。日吉は、まっすぐ前を向いていた。ふと、固まった空気がゆるりと動いて左肩のシャツ越しに、熱い体温を感じた。しっとりと涙にぬれた滝の頬だった。日吉は硬直した。
「ごめんね」
滝は一言言ったが、日吉はそれどころではなかった。部活後だというのに滝の体からは、何かふわりと良いにおいがするのだ。日吉はまだ自分には女性と恋愛ごとは手に余る早いものとして、女子にはなるべく近寄らないようにしていた。なので、人の体からフローラルだかシトラスだかのにおいがして云々、というシチュエーションには免疫がないのだった。ちなみに滝からする良い匂いの主成分はDNKYである。中学生が香水とは、生意気な。
日吉は、このどうにもたまらん((C)真田弦一郎)状況から一刻も早く抜け出したくて、思い切り身体を引いた。
「わ!」
滝は一声上げて、体のバランスを崩した。日吉はあわててそれを支えたが、滝はとても悲しそうな目で日吉を見上げ、すぐに体勢を立て直した。
「すすすっすすすsう、すみません!」
ひとまず日吉は謝った。
「別に、いいよ。ごめんね。
そうだよね、気持ち悪いよね」
「いえ、そんなことは…」
気持ち悪い、というのは少し違ったので、日吉は否定した。
「いいんだ。
俺は男の癖に整形するような奴だしね」
「う…」
実際、日吉はそこに関しては否定できなかったけれど、一生懸命否定しよう、とした。
「いえ…別に…それ…は…」
が上手く言葉が出てこず、最終的にはそのように無理やり取り繕うとする自分に疑問が芽生え、結果として、ぐじぐじと過ぎたことに涙する滝に腹が立ってきた。
「……」
「確かに、俺ってあんまり男らしくないし…」
「……」
「テニスも上手くないし……。てゆうか、レギュラー落ちしたしね。あは」
「……」
「鳳も宍戸と組むようになっちゃったしね…」
そしてとうとう日吉は我慢ならなくなった。
「あんた」
「ん?」
「黙って聞いてりゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ、過ぎたことはどうにもならないでしょうが!」
なんかもう、日吉は滝の全てに腹が立ってきた。フローラルだかシトラスだかの香りも妙にどきどきして嫌だし、女みたいに髪を伸ばしているのも嫌だし(しかもいまどきワンレンて!)、塀に寄りかかるポーズも変だったし(どこのグラビアだよ!)、第一、本編で喋ったセリフが「やるねー」だけってあんた。
「整形もレギュラー落ちも誰のせいでもなく、あんたが招いた結果だろう!?
俺だったら泣いてる暇があれば練習しますよ。
あんたは甘ったれてるだけだ」
日吉は普段から常々思っていたことを言った。そして言ったとたんにすぐさま後悔した。めっちゃタメ語だった。滝は絶対また女々しくしくしくと泣き出すだろう、そうなったらもう自分の手には負えないだろう。
―――――はっきり言って、こんなとこでわけもわからずあんたを慰めなきゃならない自分のほうが泣きたいよ!
しかし滝は、頬を上気させ、きらきらした目で日吉を見上げた。
「日吉…!こんな俺を叱ってくれるんだね…!」
「…!?」
憐れな二年生は困惑した。
「ありがとう!」
「ええ、まあ」
「最後にひとつだけ聞いていいかな?」
まだあるのか!?日吉は身構えた。
「ええ?結構ですが…」
「俺って、可愛い?」
「は?」
は!?
「可愛い?」
「はぁ…」
「可愛いよね?」
「ええ、まあ」
「良し」
滝はさっき泣いていたことなど宇宙の果てに捨ててきました、といった顔で立ち上がった。
「うん。元気でた!
褒めてくれてサンキュ」
「はぁ」
「日吉なら、優しくしてくれると思った」
「はぁ」
最後のは返事だったのか、ため息だったのか、日吉自身にも判断しがたかった。
6 おわりの話
そうして翌日。
「滝、話がある」
宍戸は腹をくくって、滝に話しかけた。
―――――きた。きたきたきたっ!
周りにいた部員たちも、腹をくくって聞き耳を立てた。
「うん。なあに?」
―――――う、いやだなあ…。
滝も、腹をくくって(?)返事をした。
「あの試合以来、お前と話さなくなったな」
「そうだね」
正直なところマジでいやだな〜。と滝は思った。宍戸はいい男だ。時々調子こくけど、まっすぐな奴なのだ。しかし、同時にそれが苦手なところでもある滝は、レギュラー落ち以来、宍戸が自分を避けていることでむしろ助かっていた。はっきり言って、「これからも、ずっと俺ら友達だぜ!」的なことを言われていたら、ブチ切れていたと思う。ちなみに、そんなこと自分からは死んでも言わないのが滝萩之介だった。
「ムカつくか?俺のこと」
暗に、最近全く会話がなくなったことを示唆しているのだろう。
「話してくれないのは、宍戸のほうじゃない?」
滝はあえてちょっと意地悪に切り返す。
「そうだな。
俺は、それに関しては、自分がふがいないと思っているけど、お前を負かしたことに関しては、謝る気は、ねえから」
それにたいして宍戸は、少年漫画の登場人物のように、たいそうかっこよく言い放った。
「何その言い方」
しかし滝は、少女漫画を読んで育ってきたので、カチン、ときた。
「勝負は勝負だ。お前も氷帝でレギュラーやってた以上…」
「ムカつく!」
―――――宍戸ばっかりキメちゃって、気に入らない!
滝は大変自分をごまかさない子だったので、きちんと言葉にした。
「は?」
宍戸は、一応自分の中でシミュレートした「滝と和解しよう大作戦」が大筋からそれたことに困惑した。
「なにそれ?自分ばっかりかっこつけちゃって!
知ってるもん別にそんなこと。
謝る気ないとか言って、いつ俺が謝ってって言ったよ?
結局俺のこと標的にして試合したのは宍戸じゃん。」
「お前。俺は真剣に話してんだぞ!?」
「俺だって真剣だよ!
勝ったからって俺のこと馬鹿にしてんのは宍戸だろっ!?」
駄目だ。第一、少女漫画を読んで育った人間と、少年漫画で育った人間とは、精神養成の土壌が根本的に違う。もう、宗教観並みに根本的かつその開きは大きいのではないんやろうか、と傍から見ていた忍足は思った。それはともかく。
「正レギュラーの中ではお前が一番弱かったろーが!そんなん、普通そしたらお前と試合すんだろ!」
宍戸はとうとう言ってしまった。
「言ったね!?宍戸言ったね!?酷い!確かに俺はすっげーテニス上手いわけじゃないしっ?打球はちょっとは速いけど重くないし、足も自慢できるほど速くないしっ、実力は中の上だけど!決め技イリュージョンドロップとか言ってるけど、ただのドロップショットだし!
でも、面と向かって弱いとか言わなくてもいいじゃんか!
う、」
当然滝は逆上する。激昂して言わなくてよいことまでまくし立てる滝は、気持ちの高ぶるあまりとうとう少し涙が出てきたようだった。
「うわ〜ん!じじどのばが〜!お゛お゛どり゛もばが〜!俺はっ!じんじでだんだがらな〜!」
「た、滝せんぱ〜い…」
ここでいきなり矛先を向けられた鳳は大いにあわてた。それはそうである。いくら先輩命令だとは言え、ダブルスを組んでいた先輩を倒すために練習に付き合ったわけである。実際そのようなことが明言されていなかったにせよ、結果としてそうなってしまったのはどう足掻いても否めない。実際のところ、鳳は滝のことを非常に先輩として敬愛してはいたが、要はそれが宍戸に対するそれの方がやや上回っていた、という話だ。非常に残酷な話かも知らんが、まあ、そういうことだったのだ。やっぱり宍戸先輩の方が男としてあこがれるし。
「いや、…そのことに関しては本当に…申し訳ないと」
「心にもないこと言うなっ」
「いえ、心にはあります」
「ないもん!」
「あります!」
「ないもん!」
「あるって言ってるでしょう!」
もうわけが分からない。この中でいちばんどうにか客観的視線を取り戻しやすかった宍戸は、この混乱の極みな会話を、どうにか収束させようとがんばってみた。
「あーもー訳わかんねえよ!
別に俺はお前のこと馬鹿にしてねえし!
いきなり整形したりして、心配してるってことが言いてえの!」
そうだ。そこだ。
宍戸は、なんだかんだ言っても、一年の最初、玉拾いのときからずっと一緒に部活をやってきた滝のことが心配なのだった。そこを忘れちゃいけない。宍戸に、滝の考えてることはよく分からなかったし、思考パターンが相容れないぜ、と思ったこともあったが、やっぱりこの大所帯の部活の中でレギュラーを守ってきたものとして、滝は練習熱心だったといえるし、見どころのあるプレイをしていた。実際のところ、宍戸あたりのレベルと、ラリーを続けられるのは同じレギュラーぐらいなのだ。心のわだかまりよりも、その、自分の腕が覚えている、滝の打球の重みや目で追ったボールの軌跡のほうが、はるかに宍戸には説得力があったし、身近に思えることだった。
「う゛〜」
自分だって負けたから、立ち返って考えられる今ならわかる。滝が自分と試合をしてから思ったことや、悔恨が。
「お前、整形とか言って、嫌なのは目じゃないだろ?もっと他に変えたいことがあるんだろ?
顔変えたって、性格は変わんねえんだぞ?」
「変わるもん!」
滝は、なんだかんだ言っても、最初の最初、ヒラの頃からずっと部活をやってきた宍戸の言うことは彼なりに筋の通ったことだと思っていた。そこが大切なのだ。確かに宍戸は滝からすればちょっと野蛮、と思えることもあったけど、いつも勝ちにこだわってそこに向かうための彼の熱量にはちょっと尊敬なのだった。こんな口げんかよりも、自分が負かされた試合でみた、ボールに伸ばされた彼の右腕だとか、サーブの行く先を追う深い目線だとかの方が、はるかに滝にとってはリアルなことだと思えた。でも、そういう風に一己の人間として、対峙出来たからこそ、自分の考えだけは曲げられないのだ。
「あのなあ…」
「変わるもん!だってさ、これで満足できて、目のこと心配しないで、ほかのこと考えられるようになったら、それは考え方も変わったってことじゃん」
見た目って、とても重要だ、と滝は思う。
「んー…」
「整形して人生望む方に変えられるならしたほうがいいじゃん!
俺だってわかってるよ。一応いろいろ考えるもん。俺が本当に気に入らないのは自分の顔とか、二重かどうかとかじゃなくて、もっとほかの事だって。
でも、知らない振りして、そういう風に嫌な部分を見ない振りして生きてくなんて、絶対無理!」
そう。やせたいと思っている女の子だって、ハゲを一生懸命隠そうと思っているおっさんだって、本当の本当に欲しいのはやせた身体やふさふさの頭じゃなくて、その向こうにある自分の理想や今より良い人生だ。それを見失なってしまうから、皆、望むばかりでいつまでも満たされないに違いない、と滝は思う。人は変身なんて出来ないし、ましてや目が覚めたら新しい自分になってるなんて夢にも思わない。自分はどこまで行っても業のように自分であるとわかっているので、自分探しもやらない。それに、滝は、自分が大好きだったから、他の人間になりたいなんて考えない。だからこそ、この身体で望むことを成し遂げたいのだ。
「嫌なものはイヤだもん。我慢しないってわけじゃないけど、イヤだってことを覆い隠す気もないから」
納得できないながらも宍戸はちょっと安心した。滝が、これだけのことを負ってやったことなら、それは間違いないんじゃないかな、と思った。
「高校入ったらもう絶対負けないんだからっ!
俺も徹夜で練習とかするもん!」
「お前には無理だよ」
――――もん、言うな。
「宍戸にできて俺にできないわけないじゃない」
「調子こくな!」
というわけで、滝萩之介と言う男は、大変にわがままである。
この上ないほど素直で、われがままに生きている。
我々はそんな彼を愛している…ほどでもないが、まあ、嫌いではないのだ。
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