いくつかの短い話
1.日吉と滝
百のなかから
滝先輩はいつも良い匂いがして、それは以前鳳にもらった香水の匂いだという。
「別に深い意味はないつもりだよ。ただ、鳳が付けてきたの良い匂いだねって言ったら、ほとんど使ってなかったのを誕生日にくれたんだよ。
すごく前の話。
きっと鳳も忘れてる」
「未練がましい」
俺はさっき滝先輩の良い匂いが好きだと物凄く勇気を出して、恥を忍んで伝えた。そうしたら、滝先輩は仕方ないなあという何だか大人びた顔で笑ったのだった。
俺は悔しかった。鳳にもムカついたし、滝先輩にも突き飛ばしてしまうんじゃないかと思ったくらいカッとした。
「ははっ。そうだな。未練がましいかもね。
でも良い匂いの方がいいだろ?」
何だよそれ。
「まあ…でも」
「別にねえ、僕だって制汗剤吹いて、香水でも付けなきゃ汗臭いもん」
大人振りやがって。たったの一歳違いなのに。幸せになる方法だけ考えようって言ったのは貴方じゃないか。
「汗臭いんですか?」
俺は滝先輩に近づいて首筋に鼻をくっ付けて匂いを嗅いだ。滝先輩は驚いて、うひゃあと変な悲鳴を上げた。
彼の首筋からは一層強く香水の香りがしたが、髪の中に鼻を探り入れると確かに俺が滝先輩から想像しないような汗の匂いがした。
「確かに、臭いですねえ」
滝先輩は気を悪くしたように狼狽し、顔を赤くした。
「部活開けだし、仕方ないだろーが」
俺は少し嬉しかった。彼の人間の匂いが身近で、ああ、俺はこの人が好きなんたなあと実感して胸がきゅんとなった。笑いがこみ上げる。
「一緒にシャワー浴びますか?」
「はあっ!?なにそれ!?」
滝先輩、幸せになりたいですね。
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2.日吉と滝
春はたやすい
「滝先輩」
日吉はいつも僕をこう呼ぶ。
「ねえ、滝先輩」
そうして僕にキスをする。
「ねえ、滝先輩。慰めてあげますよ。俺のこと鳳だと思えばいい」
そうして、不敵に皮肉気に嗤う。まだ未発達の身体からは若葉のような青い匂いすらしそうなのに。君の頬からは柔らかかった記憶が抜け切れていないじゃないか。
僕は日吉にいつもたじろぐ。いつもあまりに真剣ですべてをかけて生きているからだ。僕を脅しかける時ですら全身全霊を注ぎ来んで切り込むようだ。貪欲な日吉。
彼の掌は掴むためだけにひらめく。
「駄目だよ日吉」
「何でですか?
貴方鳳に抱かれたかったんでょう」
「違うよ。だめなんだ」
「…今更お綺麗ぶるつもりですか」
「…ねえ日吉」
「はい?」
「鳳はねえ、君より背も高いし、爽やかだし、優しいし、無神経なんだよ」
「滝先輩?」
「僕ねえ。鳳のことが好きで、でも鳳は宍戸のことが好きで、好きになってもらえなくて、悲しかったよ」
日吉は泣きそうな目をしていた
「僕は宍戸の身代わりでもいいと思ったんだ。でもそれって違うんだよ。やっぱり違うんだ。」
日吉は顔を伏せた。
「僕は鳳のおかげて辛い思いもしたけど、でもねぇ、ああ素直なのが一番だなあって」
「滝先輩もう止めてください」
「止めないよ。
日吉、わざと自分の心を辛くしちゃ駄目だよ。幸せになる方法を考えようよ」
僕は長々とでも一生懸命整理して話した。日吉は顔を真っ赤にして俯いたままだ。
「だってあんたは…あなたは…俺…」
僕は日吉がたまらなくいとおしかった。胸が一杯になる。
「日吉。もしね、もし、僕のことが好きなら、…好きじゃなくてもいいけど、いつもの日吉みたいに本当のことだけを信じて」
「滝先輩、俺は」
そして僕は彼の言葉だけを待つ。
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3.日吉と滝
誰も僕らに追いつけない
おととい俺は滝さんと別れた。滝さんの高校最後の日に。
俺たちは三年間恋人として付き合った。
別れの瞬間、俺は滝さんに伝えたいことがいっぱいあったけど、何一つ言わなかった。
滝さんは「お別れだな」と言って、仕方ないなあって感じのいつもの笑い方で笑った。
ここ半年キスのたびに、長くはないな、と思っていた。
俺は滝さんの気持ちが見えないことか多すぎて、もうどうしていいかわからなかったから。昔はぴったりとあっていた筈の二人の気持ちがゆっくりとずれていって、卒業という一つの区切りで別れよう、と俺が言い出した。
まだ好きなのに別れなきゃならなくなるなんてなんだか信じられないことだが、二人でいるにはもう苦しすぎたのだ。
滝さん。あなたは俺に最初にセックスのしかたを教えてくれた人でした。上手なキスもあなたから学びました。あなたの匂いが好きでした。笑った顔が好きでした。あなたは自分のことを取るに足りない人間だといいましたが、俺はその言葉が腹立たしく思えるくらい、あなたのことが大切でした。毎日想っていました。
今思い返すと俺の中には綺麗だったあなたの姿ばかりが鮮明です。あなたが言うことには嘘が多かったけど、今なら俺に真実を見せられなかったあなたの気持ちがわかります。
俺たちが初めてセックスしたのは中三の夏で、滝さんは黒い下着をはいていた。
それがとても大人に見えて、俺は綺麗だと思ったけど、たじろいだ。
彼は男の人としたことがあるみたいで、全てをリードしてくれた。彼だって怖くなかったはずはないのに。今でも一年の差は大きくて、滝さんは何でも知っている気がするし、俺よりも遙かに経験豊富だと思ってしまうが、怖かっただろうなあ、と思う。
世間や、俺や、体や、セックスや、キスだって。
最後に微笑う前、滝さんはいった。「僕、日吉とはずっと別れない気がしてた。不思議だよな。そんな筈無いのにね。初めての恋人だったからかな。でも、これからどんな人と付き合っても、日吉はずっと僕の最初のカレシなんだなあ」と言った。俺がうんとかううとか返事ともつかないうめき声を上げると、滝さんは「ねえ、僕の何処が一番好きだった?」と聞いてきた。
俺は少し考えて「笑顔です」と答えた。でもそれは嘘だった。滝さんは俺を見つめた後破顔して「そうなの。僕は日吉の尻が好きだったなあと」いった。
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4.日吉と滝
シアンに沈む
初めて滝さんとキスしたとき、煙の匂いがした。ただ唇と唇を閉じたままくっつけたので彼の口中の味はわからなかったが、少ししたら自分の唇に残った苦い味がした。
俺は先ず滝さんは口の中が苦くなるような何を食べたのかと思ったが、すぐにそれは違うと気付いた。
「滝さん煙草吸うんですか」
「吸わない。大嫌い」
「でも、煙草の匂いしますよ。吸ったんでしょう」
「うん。今日はね」
「何で」
「だってさあ。
なんだか今日は俺、日吉とキスする気がしたんだよなあ
日吉も煙草嫌いでしょ」
「はい」
「ねえ。」
「はい?」
「俺のこと好き?嫌い?」
「嫌いです」
そう言うと滝さんは、全く、花が綻ぶように独特のインパクトをもった鮮烈な笑顔になった。
「よかった。
日吉、俺のこと好きにならないでね。」
「そうですね…」
滝さん自身の話によると、彼は人に嫌われことはちっとも怖くないのに、誰かに好かれるのはとても恐ろしいこと、らしい。滝さんは自分を愛してくれない人間ばかりを愛する。
「愛されてから嫌われること以上に怖いことなんてない」。彼はそう言った。
それは一瞬の隙もなく自分を愛せという脅しにも近い懇願であり、彼だけしか入れない滝さんの狭くてそれでいて殻ばかりが固い孤独な卵の罅でもある。
あなたがそう言うなら俺は従うしかありません。いつかあなたがこんな日々を笑い飛ばせる時が来るなら、今を惜しいとは思いません。だからこのまま、もう少しこのまま、側に。
滝さんのはためくYシャツの胸ポケットは煙草の四角い箱の形に膨らんでいた。
俺は俺のためだけに煙草を吸った滝さんのことを、大人になっても、ジイさんになってもずっと記憶にとどめておけるなら、それはどんなにいいことかとおもった。
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5.日吉と滝
ミルキィ
「日吉、はい」
唐突に滝先輩は俺に飴玉を一粒渡した。彼は普段あまり菓子をた持ち歩くことはないし、俺もあまり駄菓子を好まないので少し意外だった。
「ミルキィ?」
「そう」
「滝先輩って菓子持ち歩くんですか?」
「違う。ジローからもらった」
「へえ」
たしかに芥川さんはお菓子をばらまきながら歩いている。比喩ではなく本当に彼が歩くたびにお菓子がぱらぱら落ちてくることもあるのだ。
「俺、あまり甘いの好きじゃないんですけど…」
「知ってる」
「すみませんけど」
「でもさあ。
ミルキィ舐めてキスするの、夢なんだよなあ」
彼は特に強要するわけでもなかったが、こんな言い方をすると俺が弱いことを知っていた。
「フツー男子中学生がそういうこと言いますか?」
「いーじゃん。男とか、年とか、似合うとか、似合わないとか」
滝先輩はさらりと笑った。俺は滝先輩を少し傷付けてしまったと思ったが、それが何故なのかはイマイチ判らなかった。
「…」
俺は普段からあまり繞舌ではないけれど、滝先輩と居るときは特に何をしゃべっていいのか分からなくなって、黙り込むことが多くなる。
「ねえ、ここでキスして」
滝先輩は飴を口に入れずにそのままキスしてきた。口を閉じたままぴったりと合わせた。
「甘くないですよ。意味ないじゃないですか」
「そうだね」
俺は滝先輩の口に飴を放り込んでもう一度キスした。滝先輩は口を少し開いた。
遠くから芥川先輩が珍しく覚醒した声で向日先輩と笑っているのが聞こえる。
俺達は青い空の下で二人きりだったけど、彼らにこの姿を見られてもかまわないとすら思った。
滝先輩は俺の唇に口をくっ付けたまま
「馬鹿みたいだ」
と呟いた。でも、嬉しそうだった。
俺はこんなきれいな人とキスしているのが誇らしかった。
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6.南と千石
私設ヒーロー
この瞬間が得られるなら俺は別に発狂したって構わないと思う。むしろ、それが幸せなんじゃないんだろうか。
触ってよみなみ。本当に俺にとってはそれがすべてなんだ。みなみの彼女にするみたいに優しくしてよ。壊れ物を扱うみたいに綿菓子を包み込むように羽根で触れるように薄氷を踏むように狂人に話し掛けるように。
あの日の夜のままずっと俺の時間は止まっていて、暗い道、星も出ない暗い道はずっと目の前に続いている。初めてといっていいほどにめずらしくみなみは俺の顔に触って、本当にすまなそうに切なそうに世界中の青春の苦悩とノスタルジーを背負ったように眉をひそめた後、ドラマの登場人物みたいに笑って謝罪の言葉を口にした。
けれど俺は南の喋っている言葉を一つも聞いていなくて、ただ南が俺を触っている指先から頬に伝わってくる振動を官能と言っていいほどに過敏で繊細な神経で感じながら、心からの微笑を浮かべた。
そうだね俺は全部知ってたよみなみ。
そうだねそれらはすべて正しいよ。
結局、みなみは俺を愛してくれないってことだろ?
そんな下らないことよりも俺にとってはこの冷たい指先の方が遥かに重要だし、君が貸してくれたビートルズのバカみたいな歌詞の方がよっぽど説得力があるんだ。
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7.跡部と滝
愛あればこそ!
今年氷帝学園中等部テニス部に入部した跡部には、一つ不満があった。
不満といえば日常のかなを探した場合限りなくあるに違いなかったのだが、その中でも、特大に、いちばん彼を困らせる不足があった。
それは、密かなる趣味を分かち合える人がいない、ということだった。
今日も跡部は一人で鼻歌を歌う。
「あーいー それはー 悲しくー」
どこかで聞いたこの歌詞は、そう、ずばりタイトル「愛あればこそ」inベルサイユのばら。
跡部は宝塚が大好きだった。
それなのに、それなのに。彼のと同じハイソサイティーかつハイセンスな趣味を持つ同年代の男子生徒など皆無といってよかった。なぜだ!?なぜ皆、大地真央や真矢みきの素晴らしさがわからない!?跡部は、審美眼の高さゆえに果てしない孤独と戦う羽目になってしまった自分を呪った…!!
小学校に残してきた樺地は、一緒に宝塚のDVDを鑑賞してくれるが、宝塚ごっこをするときに不都合が生じる。跡部がやりたいのは男役なのだ。樺地とじゃ、身長的にどう考えても俺が娘役じゃねえか!!
どうしても、どうしても跡部は男役がやりたかった。
「あーいー それはー 切なくー」
跡部は今日もランニング中、孤独に鼻歌を歌う。というか、素晴らしい腹式呼吸により大声で歌う。30分間走の25分めで、周りがあえぐように呼吸する中で、お前どんだけ体力あるんだよ!?くらいの勢いでアンドレを歌う。ああ…どうせ俺は…この後に続くオスカルのパートも自分で歌わなきゃならねぇことになる…!いや、主役こそ、俺にはふさわしいんだがな!!愛って、ほんとに、せつないって、ワケね!!
孤独が跡部を凌駕しそうになった瞬間、どこからともなく歌声が…!歌声が響いてきた…!
「あーいー それはー くるしぃくぅー
あーいー そぉれはー 儚くー」
跡部は、体に電流が走るような衝撃を感じた。誰だ!?誰だこの歌声は…!?
誰がオスカルパートを歌っているかは確認できないながらも、歌はサビのハモリ部分へと突入する。
「「あーいー あーいー あー―――いー――――――」」
素晴らしいハモリだ!皆このハーモニーを聞け!!
俺様(達)の歌声に酔いな…!!
「「あーあー あいあれーばこそー――
生きーる よーろこーびー」」
跡部はふと気付いた、もしかしてこの声は…?
振り向くと、予想通りのあいつが、息を切らせながらも、微笑んで歌っている。
「「あーあー あいあれーばこそー――
世界ーは一つぅ 愛ゆえーにー
人はうつーくーしいー――――――」」
そのとき頬を伝ったのは、汗だったか、それとも、もっと他のものだったのか。
初夏の日差し明るい放課後、跡部は同志の徒と出会った。
「跡部、やるねー」
滝萩之介。母は元タカラジェンヌ(雪組)。将来の夢は黒木瞳のような娘役になること。
二人の出会いは、偶然ではなく、必然と言っても良いのではないだろうか―――。
「あたりめえだろ?アーン?」
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8.滝
Taki in Wanderland
滝は、お稽古用の板間で、お姉さんの踊りを見ているのが、とても退屈になってきました。おまけに、何もすることがないのです。お姉さんの踊る様子を見ていても、滝の家で教えている踊りには、セリフもなければ歌もありません。「退屈」と滝は考えました。「歌もセリフもない踊りなんて、やっぱり退屈になるなあ」
そこで滝は心の中で、できるだけ考えようとしました――――というのは、その日はとても暑かったので、眠くて頭がぼんやりしがちだったのです――――このまま、お稽古を早めに切り上げてもらって、ストリートテニス場に行けば面白いだろうけど、わざわざ出かけていくほどの価値はあるだろうか?と、そのとき、一匹の赤い髪の毛をした白兎が、すぐ傍をクルクルと宙返りして行きました。そのウサギは赤い袴を穿いていて、そのすそが金魚の尻尾みたいに華麗にたなびいています。
それは、特に驚くほどのことではありませんでした。そのウサギが「急がなきゃな!遅刻したら、跡部がまた機嫌を悪くする」と喋ったのもおかしいことだと思いませんでした。後から考えると、そもそも、「白兎」なのに「赤い髪の毛」なんていうのは矛盾しているし、ウサギが喋るなんて普通じゃないと分かりますが、その時は全く変なことだとは思わなかったのです。そのウサギは見慣れた顔をしていました。ちょっと滝よりも小さい体のそれは部活で一緒の岳人だと、ぴくぴく揺れる跳ね上がった尻尾を見てすぐに思い出しました。滝は岳人がウサギだったなんて、今まで知りもしませんでした。だけど、なるほど、あんなに毎日ぴょんぴょんしていたのは、彼はウサギで後ろ足が長いから、飛んでいった方が楽ちんなんだわ、と思いました。岳人はとても急いでいたので、きっとどこかでテニスの試合があるに違いない。滝は言いました
「ねえ!どこかで試合があるの?俺も連れてってよ!」
しかし、岳人はとっても急いでいて、滝の言葉が耳に入りませんでした。
「急がなきゃ!」
岳人はお稽古場を突っ切ると、御手洗いの方へ廊下を曲がって行ったようでした。滝はテニスの試合があるならぜひとも観にいきたいと思ったし、ウサギになった岳人の耳がどう生えているのか見せてもらいたいと思ったので、追いかけていくことにしました。しかし、お稽古用の一重を着ていたので、足元に着物のすそがまとわり付いてなかなか早く走れません。廊下の角を曲がる岳人の赤い裾が時々見えるだけです。かろうじて、庭に下りた白兎が垣根の下にある穴に飛び込んでいったのだけは分かりました。
「あんなところに穴があったなんて」
滝は少し驚きましたが下駄を履いて庭に降りると、そのまま穴に飛び込みました。その時は、どうやってそこから帰るかなんて、ぜんぜん気にならなかったのです。
穴はしばらくまっすぐに伸びていましたが、その後、がくんと下り坂になり、それに気付かなかった滝はまっさかさまに穴を落ちていきました。あまりの怖さに最初は目を瞑っていましたが、いつまでたっても底に衝突する気配がないので目を開けると、自分の身体は周りが井戸のように石で固められているまっすぐに降りる穴を、ふわふわと落ちているのでした。
「誰がこの穴を掘ったんだろう?戦国時代の避難通路だろうか?」
滝は独り言を言いました。その間も、どんどん彼の身体は奥深くへと運ばれます。すると、石の壁に出来たくぼみに桐箱がおいているのが見つかりました。そこには「きんつば」と書いてあったので、お菓子が好きな彼は手に取りました。しかし、開けても、中は空っぽでした。しかも、よくよく見ると箱の底には「レギュラー落ち」と書いてありました。滝はムカッとしました。
「性悪な菓子屋だなあ」
滝はすっかり気分が悪くなりましたが、どんどん体が落ちてゆくのに、少し不安な気持ちにもなりました。
「もう、どれだけ落ちたのだろう?ふわふわと随分進んできたけれど、地球の真ん中を通り過ぎたくらいだろうか?このまま行くと地球を突き抜けてブラジルに出ちゃうかもしれない!」
そうなるとおおごとです。滝は、学校の授業で英語とフランス語は嫌というほど勉強させられていますが、ポルトガル語なんて一言もしゃべれません。
「ええと…。ひとまず、地球の反対側にでたら、知らない人ばかりだろうから、自己紹介をしなきゃならないよね。ポルトガル語で、日本はハポン、だったから…」
思案に暮れる間も、滝の身体はどんどん穴の奥深くまで落ちてゆきます。
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9.不二と乾と忍足
僕のはてしない明日
「僕ねえ、将来のこととか、考えられないんだ」
「何やそれ」
「小さい頃…今もだけど、将来何になりたいかとか、そのためにはこれからどうしなきゃならないかとか、聞かれるじゃない?」
「まあ、そうだね」
「僕、そういうの聞かれるとねえ、今生きるだけでも、もうどうしたら良いかわかんないのに、これからどう生きるべきかとかも計画立てなきゃならないのかと思うと、もう、駄目、絶対」
「……ガキやなあ」
「そうなのかな?そういう風な言葉でいいのかな?
だって、僕、忍足も、乾もそうだと思ってた。二人とも、そーゆー匂い?っていうのするもの。二人とも、僕が知っている人間の中では、群を抜いて子供っぽいよ」
「面白いことを言うね」
「ちっとも面白くないよ。だって、今日だって、当たり前のように進路調査あったじゃん?眩暈がする」
「実際のところはどうするの?」
「このまま、高校に持ち上がるつもりだけど…。
でもさあ、忍足だって、乾だって、自分が二十歳になった時のこととか想像できる?」
「できんなあ。でも、きっと今と、大して変わらん気がする」
「僕も、それが正解な気がするよ」
「そうだろうな。
でも、確かに、俺は小さい頃、自分が中学生になるなんて思いも寄らなかったなあ」
「あー。その感覚は分かるわ。
小さい頃って、小さいってだけで、やっぱ、特別やん?皆、手加減してくれとおしな。で、そこから変わっていくなんて、分からんかったもんなあ」
「ねえ」
「…俺たちが三人集まると、ろくな話しにならないな」
「根暗やもんな」
「ね。根暗だよね。オタクだし。僕は違うけど」
「いやいやいやいや」
「むしろ、不二が、オタクだろ」
「いやいやいやいや」
「……不二、今日、おかしないか?」
「そんなことないよ」
「なんぞ、将来に不安でも感じとるのか。センチに」
「皆そうだよ」
「でも、不二は、そういうの思うても、絶対に、言わんやんか。人には。
お前は秘めて生きおる人や」
「何それ」
「秘めて生きる人。自分の中にまあるく、自分がおってな。無駄なことは人に言わんと、自分しか信じとらん人間や」
「冷たい人?僕は冷たい?」
「ちゃうて。依存せんでも歩ける人」
「……よく分からないや」
「俺ん中では、ガックンとかもそう。あと……実は、菊丸とかも、そうやないかと思う。あいつら、子供っぽいようで、さっぱりしとるやん?冷めてるっつーか。テンションは高いねんけどな」
「あー、そう言われると、なんか分かる」
「うーん」
「やろ?俺は、結構、べたべたする人間やから、逆に、そういう人が好きやな」
「ていうか、向日君のことが好きなだけじゃないの?」
「それはある」
「本当に、忍足、向日君のこと好きだよねえ」
「そんなに?」
「そうなの!だってさー、この前一緒に映画行った時もさあ」
「あ、俺、そのとき思ったんだけど、不二、いいの?そんなことしてて。手塚が知ったら、また面倒なことになるよ。お前たちはただでさえ面倒なんだから」
「それはまた…別の話。で、一先ず、忍足と映画行った時にさー、やっぱ始まる前とか、マックとか寄るじゃない?で、僕が映画のこと話したいと思っているのに、ずーっとメール打ってんの。忍足は。ニヤニヤしながら」
「向日君に?」
「そう!僕もキモイからさー、彼女かなーとか思って、でも忍足今付き合ってる子いないらしいから、誰にって聞いたのさ。
そしたら、すっごい嬉しそうに「ガックン」とか言って。
画面見たら、顔文字だらけ」
「うわ」
「キモイよねー」
「ちょっとな」
「アホお前、ガックンはホントエエコやん」
「別に、向日君のことはキモイっつってないじゃん?
キモイのは忍足」
「キモないわ!ガックンと俺は、仲良しさんなの。相方なの」
「相方、いいねえ」
「いいなあ」
「分かった不二。お前、また手塚ネタで引っかかっとんねやろ」
「う〜ん」
「どうしたの?」
「なんかねえ。別れるって、言われた」
「っえ?」
「不二と?手塚が?」
「うん。なんかさあ、手塚、馬鹿だからさあ、『不二…これから将来のことを考えると、お前は俺と居ない方がいい筈だ』とか言ってさー。っていうか、じゃあ付き合うな、とか思うよね」
「うっわ。手塚らしー」
「まさに手塚節」
「僕は、それでもいいから付き合おうと思ったんだ。確かに、付き合ってればいつか別れるかもしれないってゆーのはみんな言わなくても分かっていると思うのにさ」
「お前ら、いつもそんなのでもめてるよな」
「うん…。僕も、好きだけじゃ、やっていけないことは身を持って感じてるから、手塚にそう言われると、僕のほうからは何を言っても、なんか、子供っぽく喚いてるだけにしか聞こえないんだよね。
でも、そういうのって、ずるいじゃない。
確かに、男同士って言うのは、ちょっと、あまり、いないし、ここでやってくには、辛いけど。僕は、負けるかもしれないけど、それでも、なんっていうか、…たたかおう、とか思ってたから。子供じみてるけど。
手塚や、僕の両親が知ったらとか思うと、いつもどうしたら良いかわからなくなるよ。きっと別れなきゃならなくなる。でも、僕は、おかしいって思われても、どうにか自分は正しいことをしてるんだって、主張したいんだ。なのに手塚は僕たちの関係が、リアルじゃないって言ってるんだよ」
「リアル?」
「だって、そうじゃない?手塚は現実に将来のことを考えたと思うんだ。それで、僕と、別れるって、結論にいったらしいんだよね。酷いよ。人に対する、冒涜だよ。
つまり、今までの、僕との関係は、夢の中の話だってことだろ」
「夢の中?極論だなあ」
「いいんだよ、僕はいつもギリギリで生きる。ていうか、それしか出来ない。
僕は、痛くなるほどの現実の中で手塚と付き合ってきたんだ。手塚だって、そうだと思うのに」
「……俺にはわからんな」
「何が?」
「どうしたら良いかが」
「僕だって知らないよ!
ホント人と付き合うって、難しい。だって、悩んでても、それがすごく似てることでも、全然違った次元でものを考えていたりする。それが難しい。
当たり前のことだけど。
僕は、続けたいのに、手塚は、無理だっていうんだ。そう言われたら、もう、どうしようも、ないよね」
「ないのか?」
「だって、手塚は、将来僕と努力しない宣言したんだよ?実質的に」
「手塚自身は、それをわかっとらんと思うけどなあ」
「それが、また、むかつかね?」
「不二」
「だって、もー……
あー!!やだなあ!何で、あんな、面倒な馬鹿と付き合ってんだろ。
はっきり言って、女の子と付き合ってたほうがよっぽど楽だったよ!!」
「それ言ったらおしまいやろ」
「手塚に恋するアドレナリンを恨むんだな」
「僕のアドレナリンの馬鹿ー!カッコいい手塚の馬鹿ー!!嫌いだー!」
「相当意味わからんし」
「不二、話し合うつもりだろ?」
「……うん。
言われた時はカウンター喰らってなんもリアクションできなかったけど、もう、まず、明日ぶん殴ろーと思った。
ふざけんじゃないよって。僕のこと、馬鹿にするんじゃないよって!」
「うわ。見たい。かなり、見たいそれは」
「手塚を殴る不二。お前、レジェンド入りできるよ。動画で撮っとこう」
「グーやろ、もちろん」
「しかも、中指、尖らせるから」
「歯あ、折れ。そんでそれ、記念にもらっとき。飾ろう。ここに」
「俺の家に?」
「二人とも手塚嫌いなの?」
「…普通」
「……手塚って、好きとか、嫌いじゃないよな。俺はそれを思うたび、不二がすごいと思うよ」
「なにそれ」
「チェレンジャー」
「えー」
「でも、二人ともありがとうね。誰かに聞いて欲しかったんだ。サンドバックだったかも。でもまあ、ありがたいと思って、うけといて」
「いやいやいやいや」
「やっぱ友達だよねー。ていうか」
「がんばりな」
「な」
「うん…。手塚とマジで別れたら、誰にも連絡取らないから、そう思っといて。
やだなあ。怖いな。泣きそう。」
「いつだって、怖いよ。人と関わるのは」
「そうや。でも、それで、手塚に対する、好きって気持ちを、失ったらあかん」
「うわー!!忍足がカッコいい」
「まあな」
「いいこと言ってる」
「まあな」
「心に染みる!」
「まあな」
「ていうか知ったか?」
「まあな」
「むしろキモイ!」
「まあな」
「ていうか、ありえない」
「まあな…って褒めとらんやんけ!」
「うあー!待ってましたって感じ〜!!」
「ちょっとな。貶されるの待ってた」
「M」
「Mだな」
「うっさい」
「不二。うまくいくといいな」
「うん」
「手塚の話も、しっかり聞いてやるんやで?俺、奴の気持ちもわかるもん。
きっと、不二のことが、大切やから、言うたと思うのな」
「うん。わかるよね。
……二人とも、優しいね。気持ち悪い」
「感謝せえ」
「…………うん。
ありがとう……」
そうして不二は、しばらく静かに泣いたあと、いつの間にか寝入ったらしかった。
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