さよなら日記















英二は、人を殺して、生きている。

 彼は盛大に喚いた。
「聞ーてよおーいしーィ!
さっき殺したおっさんさあ、ちょーコエーの。
俺が、撃つじゃん?でぇ、頭何発も撃ったからすぐ死んだんだけど、痙攣がマジ長ぇの!
ビクビクしちゃって、近くにあったちっちゃいタンスみたいなのがぶっ倒れて、もう、下に住んでる人に見つかんないか焦ったよー!」
 なかなか興奮した様子で、身振り手振りを交えるので、彼の座ったソファがガタガタ揺れていた。大石はキッチンでホットミルクを作りながら、彼のいかにも子供っぽい仕草に苦笑した。
「そうか、大変だったな。
 でも現場を見なおしてこなかったのは良くないぞ」
 ミルクパンがチンチンと音を立てている。大石は白色の液体の表面に薄い皮膜が出来るのを慎重に見極めながら英二の声だけを心地良く聞いた。
「まさか!
 俺がそういうの忘れるわけないじゃん。
 きちんと大石に言われた通り、チェックしたぜ?」
 英二はまだ一生懸命大石に聞いてもらいたいことを話している。
「何も落として来なかったね?」
「うん、多分」
「多分って……頼りないなあ英二は」
「いーの!」
「……まったく。
 シャツが血だらけだったぞ。燃やさなきゃ。
 英二のおかげで、どれだけ服があっても足りないな」
 大石は少し熱いくらいに温まったミルクを大きさの違う二つのカップになみなみと注ぐと、そのまま両手に携えて大きなほうを英二に渡した。英二は温かいそれを受け取ると、話を聞きながらもくんくんと蒸気に鼻を当てた。そして、その温かさに満足すると、手に持った薬のカプセルを口に放り込み、ミルクを一口飲む。
「そうなの?」
「そうさ。お前はいつだって俺を困らせてばかりだ」
 大石はわざとらしく肩をすくめた。
「そうなんだー」
 しかし何故か英二は、とても嬉しそうに笑う。
 英二の中にある短い記憶の断片たちは全く彼を苦しめていないようだった。

 英二は朝が来るとリセットされる。

 毎朝毎朝毎朝毎朝忘れる。時々、前日のことを朧気に記憶している日もあるが結局次の日にはまた忘れている。
 そして毎回毎回、お前は誰かと大石に訊ねる。酒瓶の転がるリビングで、平穏に眠っていたベッドの上で、丸くなっていたソファの上で。自分が暮らすアパートの住所や電話番号は覚えているのに、もろもろの出来事は何もかもまっさらになっている。本当に綺麗さっぱりといった形容が似合うほどに英二はすがすがしい顔で毎朝目を覚まし、脈絡なく誰かが横に寝ていても何も不安を感じていないようだった。冬の光は窓から深く差し、彼のまだらに染められた茶色い髪や切りそろえられた爪を清廉に光らせ、濁らぬ空気に声が響くようだ。
 英二はまず、大石を見上げて心底不思議そうな顔をする。そして、何か喋ろうとして、特に喋ることがないということに思い至ったように、自分の爪先あたりを眺める。大石はそのような英二を確認すると、ほぼ毎回「お腹が空かないかい?」と聞く。それに英二は大抵うんと答えるので何か朝食を作り、与える。そうしてから、やっと英二は大石に何か質問をはじめる。その質問の内容は毎回まちまちで、自分の名前から尋ねることもあるし、今日の日付を聞くこともあるし、全然関係なく大石が作ったホットケーキのレシピを聞いてきたこともあった。
 そして大石の方はその英二の散漫な質問に何事もないように答えるのにもう慣れてしまった。彼の名は菊丸英二というものであること。今日は十十月十七日であるということ。ホットケーキミックスで作っているということ。そして、自分は大石秀一郎というものであること。そして彼は人殺しをして生計を立てているということ。最初英二は特に色のない表情で大石の話を聞くが、大石自身の名前を聞くといつもにっと笑って「それはわかる」、と言う。そして、人殺しをしているという件を聞いても、対して驚くこともなく「ふーん」と特に感動のない相槌を打つだけだった。そして仕事がある日は、大石は英二にこう言う。
「英二。君は殺し屋をやっているんだよ。今日も仕事が入っているんだ。
 君はそうして生きてきたんだ。
 信じるかい?」
 すると英二はなんの引っかかりもなく素直に頷く。
「ウン。
 特に嫌とか思わねえから、そうかもしんないね」
「じゃあ、今日も仕事に行くかい?」
「どうしよう……どうしたらいいかなあ」
「英二が決めることだよ。だってこれは英二の仕事なのだから」
「うーん。特にやることもないしぃ……。
 行くかな」
「本当に君は自分が人殺しだといわれても疑わないのかい?」
「だって、大石が言うことだもん。
 嘘な訳ないじゃんか。
 それとも大石嘘ついてんの?」
「俺のことは忘れていないんだね」
「うん。顔と名前は覚えてる。
 でも、大石って俺のなんだったの?そういうのは分かんないや」
「なんだと思う?
 英二が決めていいよ?」
「じゃあなー……じゃあねー……。
 兄弟ッ!」
「兄弟か。
 よし、じゃあ今日の英二と俺は兄弟だ」
 英二は大石のことだけは忘れない。
 大石のことだけを信じる。
「俺、誰を殺せばいいの?」
 未分化な子供のように、単純に疑問を表す真っ直ぐな表情だった。彼の身体は思春期の少年らしく、骨を薄い皮と筋肉が柔らかく覆っている。頬のうぶ毛が日をすかして金色に光っていた。大石は何にも汚されていないような若々しい手をとった
「俺が連れてゆくよ」
 そうして大石は英二を連れて、その日その日の仕事場に行く。
 毎回毎回使う道具は違うが、英二は、昔からなじみのある物のようにすべてを使いこなすのだった。
 今日来たのは、入り組んだ路地の中にあるずいぶんと古ぼけた集合住宅だった。あらゆるところのコンクリートは冷たく煤けている。大石はアパートの裏に車をつけると、車内で最後の確認をした。
「英二。写真の女の人の顔は覚えたね?」
「うん。ばっちし!」
「部屋の番号は?」
「えーっと。508っ!
 もー、心配性だな大石はー。
 大丈夫だよっ。すぐ終わらせてくるから。
 いってきまっす」
「最後に、部屋をきちんと燃やすんだぞー」
「わーかってるって!」
 英二はコルトガバメントを新聞紙に挟んで小脇に抱えるとそのまま勢いよく助手席のドアを開け、跳ねるように非常階段を上っていった。
 爆発音が聞こえてからしばらくたっても、大石がいるところに英二が戻ってくる気配がなかった。大石は時計を見て英二がアパートに入ってからの時間を確認すると、そのままビルの反対側に駆けていった。アパートを見上げると、英二はおそらくバスルームのものと思われる窓から身を乗り出していた。
「大石!火が回っちゃってどうしても非常階段のあるほうから出られない!」
 英二は困ったように少し大きな声で大石に呼びかけた。大石は口に人差し指を当ててそれを諌めると、そのまま横の雨どいを指差した。窓からは一メートル以上離れていたが、英二には訳もないことだろう。
「下りて来られるね?」
 英二は大石が指差した先に、格好の逃げ道があることを知ると、そのまま小さな窓から器用に這い出て桟のかすかな出っ張りに足をかけた。そのまま慎重に窓枠につかまると、体勢を立て直してそろそろと雨樋に手を伸ばす。雨樋を固定させる為の金具に指先が着くと、もう次の瞬間には飛びついてするすると下りてきた。
「気を付けるんだ」
 大石は英二が降りてくるあたりに駆け寄って少しハラハラしながら彼が怪我などしないかと見守っていたが、英二は二階あたりまで降りてくると大石を振り向いてニヤッと笑った。
「大石ぃっ!抱きとめろっ!」
 大石が構える暇もあればこそ、英二はそのまま大石めがけて飛び降りてきた。それはいかにも英二のやりそうなことだし、頭のどこかで予想すらしていたので、大石はおおいに焦りながらも、両腕を広げて英二を受け止めた。とんでもない衝撃で重たかったが英二はそのまま地面に足も着けずに大石にしがみついたままになる。
「はふー。
 怖かったよー」
 彼の体からはむせ返るような火薬の匂いがして、その中に強烈な血の匂いが混じっていた。しかし大石はその中にある、かすかな英二の汗のにおいを感じたので、かまわず彼を抱き返した。現場からはあくまで迅速に逃げ帰らなければならない。大石は英二を抱えたまま早くも車に向けて走り始めていたが、英二は大石の首筋に顔を埋めて、しばらくじっとしていた。
「このまま車まで運べって言うのかい?」
 大石が英二の背中を優しくたたいて聞くと、英二はたちまち身を反して
「一緒に走るよっ」
 と大石の横に並んだ。体中から火薬の匂いを振りまき、英二はどこまでも軽やかに走り続ける。彼の躍動感を感じながら、大石は、愛しい、と思った。英二がいとおしい。英二の為なら何でも出来る。

 部屋に帰る前、大石は薬屋に寄った。アパートから少し離れた下町にある、小さな店舗だった。
 その薬屋の店員は何も書かれていない膨らんだ薬袋を二つ、カウンター越しで大石に手渡した。そして、乗り出すように笑顔で話し掛ける。
「大石。英二は相変わらずか?」
 大石は彼のからかうような口調に苦笑して答えた。
「ああ。手を焼いているよ」
 大石は笑顔だったが、店員の表情にはすっと陰がさす。
「そう……。仕事のほうも順調なようだな」
 気が進まない様子で話題を切り出した。しかし、大石の表情は日常的で、軽やかなものだ。
「英二は、よく出来ているから」
「……そうか……。
 ………英二と同じ人工体である俺だから言うのだけれど、彼はそろそろ限界だと思う」
「知っているよ」
 二人の会話はどことなく噛み合っていなかったが、大石はそれにかまわなかったし、店員の方も、もう気にしてはいなかった。
「そうか。……だから一番辛い仕事に着いたとも言えるのだしな」
「英二が廃棄されない為だよ」
「逃げようとは思わないのか?」
「まさか!そんなことしたら英二が殺されてしまうじゃないか」
「……大石」
 店員がはまだ何かを話したいようだったが、大石はまた笑顔になって帰る旨を告げた。
「乾。今週も薬をありがとう。また来るよ」
「……ああ。英二によろしく」
 店員は少し手を上げた。
「ああ」
 そうしてそのまま大石は外に注意がそれるように後ろを向き、静かに店を出ていった。

「遅かったじゃん。
 俺、もう腹減ったよ」
「店員さんと話していたんだ」
 荷物を後部座席に移しながら大石は答えた。キーを回してエンジンをつける。
「あの眼鏡の変な人ー」
 そう言うと英二は、車まで揺れるほどに助手席で大きく身体を弾ませながら、自分で作曲したと思われる奇妙な眼鏡の歌を歌いだした。そのめちゃくちゃな旋律がたまらなくおかしかったので、大石は笑わずにはいられなくて肩を震わせた。
「何だよそれは」
 すると英二は嬉しそうに笑い、窓をあけ、さらに声をあげた。
「めーがねめがねー黒々めがねー」
 スピードを上げ始めた車窓からは早い風がかき回すように吹き込んできた。英二の髪の毛は冬の冷たい空気に巻き上げられ、いつもは隠れているうなじに書き込まれた文字が見える。SO_38426100 imit。彼は模造人工体でつくられた、限りなく人間に近いイミテーションだ。英二はもう随分長いこと稼動し続けているらしい。以前乾に型番を見てもらったら三十年近く前に作られたものだと言われた。もう限界値を過ぎているに違いないのだろうが、大石は彼を愛していた。手段は選ばなかった。
 ただ、それだけの話だ。








2006.5.1加筆修正

端的に大石と菊丸を表現するとこうなる。
最狂コンビ。









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