あかいあかいあかい花束
僕は僕のことを僕と呼ぶのが嫌だし、僕の身体も好きじゃないし、僕が男なのはおかしいと思う。でも女の子の身体にすぐなりたいとも思えない。恐いからだ。僕は、男の子も女の子も嫌だ。
赤澤は優しい。とっても。そしてバカだ。僕は赤澤と居るといつも泣きたくなる。赤澤は僕のことを好きだという。僕自身すら好きじゃない僕の身体も顔も、性格はよく分かんないけど、でも性格も好きだという。赤澤は女の子が好きなはずの普通の男の子で、事実、今まで学内の女の子と付き合ったことがあるらしいと言う噂は知っていたし、僕達を取り巻く男子たちの主だった話題である色恋の話でだって基本的に女の子に注目して話していた。当たり前だ。男が女を好きだと思うことはおそらく一般的なことでマジョリティであるし、中学生くらいの年頃で僕のように強烈にセクシュアリティを意識しなければならない人もあまり居ないと思うから。僕はいつも身体と心のことについて考えていなければならない。
以前、まだ山形の実家で暮らしていた頃に、テレビで両性具有体の人の話をやっていた。その人は、生まれてからしばらくは男として暮らしていたのだが、思春期に差し掛かった年頃のある日、いきなり下着が赤く血で汚れていたという。生理だ。僕はその話を見たとき、絶望から少し救われた気がした。確かに僕にはペニスが付いているけど、もしかしたら、男なのは見かけだけで、身体の中身は女の子なのかも知れなくて、来るべき日が着たらきっと生理になって、女の子になれるんじゃないかと思ったからだ。そのとき僕は小学六年生で同じ年の男の子と比べると随分早熟だった。もう生理がどんなものかもとっくに知っていたし、近くの市立図書館で、たくさん保健体育的な性に関する本を借りて読んでいたので、当然、いきなり僕が女の子になれるなんて夢みたいなことは思ってはいなかった。だけど、テレビのような話があるのかもしれないと思うと、少し心が晴れた。今となっては、無意味なことだけど。もう何度も何度も触っているから身に染みてわかっているが、僕には膣がないし、多分子宮もない。両性具有体の話を知ったしばらくあとに、僕は盲腸になって病院で手術をうけた。そのとき、医者は何も言わなかった。
僕のことを赤澤が好きだというたびに僕は戸惑う。それは彼に対して何を言ったら良いかという対処のしかたに対する迷いもあるが、何よりも僕自身がおかしくなるからだ。僕は赤澤が嫌いじゃない。むしろ好きだ。僕にずっと恋していてくれればいいのになあとすら思う。僕が女の子になりたいと思っていることを知った人間が僕のことを好きだと言ってくれたのは初めてだったのだ。赤澤は、なんだかとっても普通に僕に笑って、僕の肩を抱いて、あまり面白くないジョークとか言いながら一生懸命僕を笑わせようとしてくれて、それで好きだと言ってくれる。僕は赤澤に触られるたびに、このままキスされたり抱かれたりしてもいいんじゃないかと思ってしまう。実際、夜中ベッドに入って、同じ部屋の中に居る赤澤の気配を息を殺して探りながら、彼の温かさを想像することがある。きっと夢みたいに幸せとはいかないだろう。赤澤に対しては時々この人なんてデリカシーがないんだろうとか細やかさがないなあとかうんざりすることもあるし、何しろ僕とは脳味噌が別の人間だから。でも、その温かさだけでも欲しいと思ってしまうのはいけないことなんだろうか。僕のこの欲望は理性によって抑制されるべきものなのだろうな。
僕が赤澤と抱き合っているのを想像する時、そこに僕の裸は出てこない。ただ、温かい、柔らかい、何もない空間に赤澤が居るだけだ。しかも、抱き合うといっても、本当に抱き合うだけで、セックスのことなんて恐くて考えられないし、赤澤に自分の裸は見せられない。僕の身体は男だ。赤澤は普段は女の子が好きな人だ。だから、僕のことが好きだというのも、青春の頃にありがちな一過性のものなのではないかと思う。みんな、いきなり大きくなった異性との距離のバランスをとるのが難しくて、同性と遊んでいた方がいいや、と思う時期らしいから。だから普通の女の子よりも随分近い位置にいる、僕のことなんか好きになっちゃったんだろう。そんなんじゃ、きっといつか本当に恐くなる。僕の身体や、僕を好きになることでたくさん隠したり犠牲にしなきゃならないことがあるという事実が。赤澤は、本当にバカで単純だから、一つのことしか考えられないのだ。僕が好き。じゃあ、外の付随してくるたくさんの難題は?きっと彼も否定される。僕はもう嫌だ。自分や、自分の好きなものを親や友達から否定されるのは疲れた。
僕はずっと一人で生きる。僕の好きなものは人に知られちゃいけない。世界にほころびをつくっちゃいけない。きっとそこから侵されるから。完璧に僕の周りのデータを取り調べて、負けないように推測しなければ。勝てるように作戦を練らなければ。僕は負けたくない。僕は綻びたくない。
「おかえり、観月。
お疲れさん」
赤澤は部活が終わると、大抵遅くまで部室に残る僕をおいて寮に帰る。寮に帰り、僕より先に夕飯を済ませておいて、部屋で待っていて、おかえり、と言ってくれる。
「ただいま」
そのときばかりはなんだか胸が詰まるようで、外に何も言えなくなる。そして、僕が食事に行こうとすると、もう用がないはずの食堂に一緒についてきてくれて、テニスやクラスでのしょうもない話をしたりする。今日も赤澤は部活内の話や、自分の試合運びの癖などを話しながら自動販売機で買ったコーヒー牛乳を飲んでいた。実は僕は人に食べる所を見られるのは好きじゃないので俯きながらご飯を咀嚼したが、赤澤の話に相槌を打ちながら、彼の髪先が揺れるのを視界の端に見た。日焼けが激しくて、髪の色が赤く抜けてしまっている。パックを握る指先は、綺麗な小麦色だ。赤澤は冬でも一日中外にいると日に焼けて、もうその晩には黒くなるらしく、僕とは反対だった。僕が、もし、生まれ変わって男になるとしたら、赤澤みたいな体と、心を持って生まれてみたいなあと思う。もちろん、赤澤にだっていろいろ悩みや困ったことはあるだろうから、逃避したいと思っているわけじゃない。ただ、彼が健やかで、美しいと思うということだ。
「赤澤。
あなた、また爪切りを使わないで爪をむしったでしょう?」
僕は赤澤のいびつに歪んだ親指の爪先を見ながら言った。
「ああ……。
だって、部活中に剥けちまったからさあ、めんどくせーじゃん?」
彼は僕が注意しているのにもかかわらず、さらに親指の先を歯で噛んで苛めていた。
「駄目ですよ」
僕は赤澤の手をとった。何食わぬ顔をしたかったけれど、赤澤に触ることは結構緊張することなので、僕は右手に箸を持ったまま、器に俯いた顔を上げずに彼を諌めた。すると赤澤は僕の手を握り返して、そのまま僕を引き寄せて、僕の頬にキスをした。食堂には誰もいないから、僕が赤澤に触ったら、彼も何かするかもしれない、とは思っていた。でも、赤澤の唇が僕に触ったのは初めてだったので、さすがに次に何をしていいか、すぐには決められなくて、黙ってしまった。僕はきっとものすごく怒ったみたいな顔をしているに違いなく、赤澤に誤解されているだろう。悲しいけど、これ以上彼に近付かれるのは恐いから、勘違いしてくれとも思う。
「ごめん」
思ったとおり、赤澤は僕の剣幕に驚いてすぐに謝った。僕は
「もうしないでください」
と言った。しかし、赤澤は、僕の言葉を聞くと、
「するよ」
と言った。
僕はまた馬鹿の変な思い込みが始まった、とちょっとうんざりした。赤澤は何をこんなに信じられることがあるんだろう。自惚れてるわけじゃないけど、僕は赤澤に対して、彼のことを好きとも嫌いとも言ったわけでは無いから、もしかしたら嫌われるんじゃないだろうか、とか思っていないのだろうか?
「俺、こういう生きかたしかできねえもん」
赤澤は味噌汁をかき回す僕にそう言って、席を立った。
ああ、不思議だな、と僕は思った。僕と赤澤は別の人間で、全然別のこと考えていて、彼は僕の迷惑なんて考えずに押し進んでしまう人なのだ。僕の悩む所は、彼にとっては知ったこっちゃなくて、それよも僕にキスすることを選ぶんだ、と思った。
「死ね。
バカ澤」
彼が後ろを向いて、部屋に戻っていく後姿を見ながら、もう騙されてもいいのかもしれないと考えた。裏切られることは恐いけど、今だけでも彼が欲しいと思った。
しかし、悪意のない裏切りは実在することを僕は知っている。赤澤はいつか己の間違いに気付き、僕に別れを告げるだろう。そんな彼を目の前にしたら、身がすくんでしまうに違いなく、きっと引き止められない。そして、彼は許されたように去っていくだろう。僕は別れる日を覚悟できるだろうか?
たくさんのことを打算しながら、それでも、僕は、赤澤にそのうち好きだと言ってみようかなあ、とか夢想した。
僕は僕のことを僕と呼ぶのが嫌だし、僕の身体も好きじゃないし、僕が男なのはおかしいと思う。でも女の子の身体にすぐなりたいとも思えない。恐いからだ。僕は、男の子も女の子も自分も嫌だ。
でも、赤澤は、好きだ。死ねなんて言ったけど、やっぱり死んじゃったら悲しいと思う。
部屋に帰ってごめんと謝ったら、彼はどうするだろう。また僕にキスをしてくれるかな。
2006.5.1加筆修正
マイ設定といえど少しやりすぎ感が無きにしも非ず。
原作の観月は普通に男の子だと思うけど。ちょっとフェミニンな(笑)。
赤澤と観月の話はもっと書きたい。
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